TBS火曜連続ドラマ『マザー・ゲーム〜彼女たちの階級〜』は面白い(Ⅱ)

 6/16(火)最終回の放送であった。出演女優陣が魅力的で、民放連続ドラマとしては最後まで愉しく視聴。(「司法取引」を扱ったテレビ朝日の『天使と悪魔』もけっこう面白かった。)昨日ブラジルレアルの件で、某信託銀行の相談窓口に呼ばれて赴いたところ、担当の女性の名が◯◯文乃さんであった。「女優の木村文乃さんと同じですね」「ああそうなんです。きのうのテレビドラマに出てました」「マザー・ゲーム」「そうです。よくご存じで」「毎回観てますよ」「あれ面白いですよね」「面白い」。
 http://www.tbs.co.jp/mothergame/chara/(「TBSドラマ『マザー・ゲーム』」)
 名門小学校へのお受験組を預かって教育する幼稚園に、園長のある狙いから、弁当屋を営む女性(木村文乃)の息子が入園することによって巻き起こされる一連の騒動を描いている。日本的格差社会におけるハビトゥス(habitus)をめぐる問題といえるだろう。ハビトゥスとは、ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』(藤原書店)の訳者石井洋二郎氏によれば、言葉の意味は「ある個人が獲得し所有しているもろもろの特性・資質・傾向の総体」であるが、「個人レベルにとどまらず、階級あるいは集団全体を規定する規範システムとして、否応なく階級性の刻印を押されているということ」が重要であるとしている。
……だからある領域に関して趣味の一致する者どうしのあいだには、まるで予定調和的親和力がはたらいているかのように、時として他の諸領域に関してもほとんど奇跡的としか言いようのない体系的な一致が見られたりもするのである。これはとりもなおさず両者が一定のハビトゥスを共有しているということであり、要するに共通の階級性に貫かれているということにほかならない。「趣味が合う」とは、こうした特定の他者とのあいだにハビトゥスの幸福な照応関係が成立する経験である。要するに、潜在的構造としてのハビトゥスは顕在化した現象としての趣味を一定の秩序にしたがって組織し、類似の趣味の持主どうしを暗黙のうちに結びつけるのである。……(『ディスタンクシオンⅡ』pp.476~477 )
 寺本桂子氏は、立教大学大学院21世紀デザイン研究科修士論文第1章「現代におけるパッケージ化されたハビトゥス習得法」の修正論文で、次のように述べている。
……現代は「伝統的身分制度」が崩れたことにより、「従来の身分制社会とは異なり、 能力のある者には上層移動がゆるされる社会(佐藤)」となった。著者の言う アイデンティティー・クライシス=危機的現象とは、このような平等な社会であるからこそ、それを逆手に何か 21 世紀社会を混乱させる現象が起き始めているのではない か、ということを指す。例えば、自分自身の成長を目指すのではなく、外見上の階級移動などを試みようとする人やその機会が、より増えているのではないだろうか。現代は資質や経済状況などが許せば、形式的には誰もが身分に関係なく希望する学校に入学し、好みの衣服や持ち物を纏うことが可能な時代である。そして自由な消費によって、「新興の中間層はその時々のエリート階級のライフスタイルをなぞ(北山)」ることが、より容易になって来ている。「外見重視の考えは、出版物、教育制度を通じて社会の全階層に浸透されていった(北山)。」ことを考慮に入れると、この「ライフスタイルをなぞ」るということの1つに、ハビトゥス習得があるのではないだろうか。これらのことから、ダイレクトに物や地位を狙うのではなく、ハビトゥス習得自体がパッケージ化=商品化されていることに、著者は 21世紀社会での危機感を持ち始めたのである。……
 http://www.rikkyo.ac.jp/sindaigakuin/sd/research/journal201110/pdf/013.pdf
 (「寺本桂子:ハビトゥス習得の身体化とはどのようなものか」)
 なるほどドラマの世界も、この論文の指摘に合致してる。

貫地谷しほり安達祐実
 http://ameblo.jp/kanjiya/(「貫地谷しほりオフィシャルブログ」)


⦅写真は、東京台東区下町民家のハイビスカス。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆