橋本健二早稲田大学教授の『日本の階級社会』(講談社現代新書)は、階級格差の観点から現代日本の社会のかたちを考察している。「国民生活に関する世論調査」「就業構造基本調査」「国勢調査」などの官庁統計に加えて、より学術的な経年的SSM調査および、著者を中心とする研究グループの2016年首都圏調査のデータを踏まえて分析を進めている。これまでの格差社会と異質なところは、世代内での階層間社会移動そして世代間の階層間社会移動が事実としても可能性としても閉ざされつつあることで、現代日本の社会が階級社会であると指摘するわけである。階層を跨がっての自己責任論の浸透が、格差の拡大、階級社会の成立を是正すべき課題として認識することを阻んでいる、橋本氏の抑制された憤りがとくにこの一点にあると読める。
http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20130602/1370140772(「大澤社会学について:2013年6/2 」)
現代日本社会の階級構成を、資本家階級・旧中間階級・新中間階級・労働者階級の四つに加えて、(パート主婦を除いた)非正規労働者は「階級以下」の存在としてアンダークラスと呼称、計五つの階級から成り立っているとしている。それぞれの職種・世帯構成の内実は単純ではないが、この階級構成を基本にして、生活意識、階級・格差意識、政治意識などを詳細に分析、とくに929万人いて、就業人口の14.9%を占めるとのアンダークラスの人びとへの配慮は、たんに情緒的なものではなく、社会の不安定化を招きかねないとの社会科学的な認識に基づいているのである。
自己責任論については、資本家階級にその傾向が強く、新中間階級、正規労働者、アンダークラスの順に弱くなっていくが、大きな差とはいえず、アンダークラスにまである程度浸透しているのである。
むしろここでは、パート主婦が自己責任論を強く否定していることが注目される。h(※「努力しさえすれば、誰でも豊かになることができる」について肯定・否定を問う、2016年首都圏調査データより算出のグラフ)では、資本家階級以上に旧中間階級が、肯定的であることが目立つ。独力で事業を営み、成り立たせてきたという自負からだろうか。他の階級はいずれも、「とてもそう思う」「ややそう思う」の合計が半数に満たないが、資本家階級、新中間階級および正規労働者、アンダークラスおよびパート主婦という順番で、否定的になっていく。とくにアンダークラスでは「まったくそうは思わない」と強く否定する人の比率が高い。(p.226)
ところで「資本家階級」という言葉をひさしぶりに目にした。昔の社会科学の勉強では、「所有と経営の分離」と「地位の非一貫性」が強調されて、強い資本家階級とか裕福な経営者とかいった〈思い込み〉に慎重になった記憶がある。本書p.35では、社会学者富永健一氏の「地位の非一貫性」論について、「今日ではあまり顧みられない説」として斥けている。なるほど。
http://www.gakkai.ne.jp/jss/research/86/347.pdf(「日本学術振興会・大阪大学 谷岡謙『地位の非一貫性と階層帰属意識の関係の再検討』」)
もちろん大企業の場合、経営者が生産手段の文字通りの所有者であることは少ない。いわゆる「雇われ経営者」たちは、いくらかの株式はもっていても、株主全体から見れば小さな個人株主に過ぎないことが多い。しかし経営者は、生産手段の運用の基本方針を決定する権限をもっており、法律上の所有権はないものの、所有権をもつ経営者と同様に雇用主として、労働者の労働力を購入する立場にある。そして中小零細企業の場合は、現在でも多くが文字通りの所有者である。(p.59 )
ここでは、従業先規模が5人以上の経営者・役員・自営業者・家族従業者を資本家階級に分類して議論を展開している。
アンダークラスが増大する一方で、正規労働者の生活はかなり安定しており、満足度も低くない。正規労働者とアンダークラスの格差は拡大傾向にあり、むしろ資本家階級、新中間階級および正規労働者の三階級とアンダークラスの間の格差が目立つようになっている。(p.262 )
東南アジア諸国の経済発展との関連など、グローバルな視点もあってよいのではないか。階級格差解消に向けての政策的提言を、(1)賃金格差の縮小、(2)所得の再分配、(3)所得格差を生む原因の解消の三つの方向性で、具体的に論じているが、経済のメカニズムとどう関連するのか、素人には判断が難しいのである。
http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110730/1312007429(「社会学者もいろいろ:2011年7/30 」)
2018-02-23