走る女アタランタ(ギリシア神話)

 
 オウィディウスの『転身物語』(田中秀央・前田敬作訳:人文書院)巻十に、キュテラの女神ウェヌスが恋する美青年のアドニスに、「その反った牙に雷電のようなおそろしい力を秘めている」獰猛な猪や、「兇暴な気性とはげしい怒りをもっている」黄いろい獅子に対しては手向かわないよう忠告して、二人の若い恋人たちがウェヌス女神の怒りを買って獅子に転身させられた顚末を語って聞かせるところがある。しかし勇敢なアドニスは猪に立ち向かって死んでしまい、その亡骸はやがてアネモネの花になるのであるが。
 獅子にされてしまった恋人たちとは、ポエオティア王スコエネウスの娘(高津春繁著・岩波『ギリシアローマ神話辞典』では異説数例)アタランタ(アタランテー)と、ネプトゥヌスの血を引いたヒッポメネスの二人。脚がめっぽう速く「その肢体は、まばゆいほどの白さに赤味をただよわせていて、まるで広間の大理石の白さが、戸口にかけた深紅のカーテンにほんのり照りはえているみたいな」美しいアタランタはあるとき、結婚するならば生きながらわが身を失うことになろうが、それを避けることはできないとの神のお告げを聞き、一生結婚するまいと決断する。彼女の魅力に惹かれて求婚してくる男どもに対し、自分と競争をして勝てれば「褒美にこの身を妻としてさしあげましょう」、しかし負ければ「死がそのご褒美です」とした。彼女に勝てるものはなく求婚者たちはみな命を失った。 
 ヒッポメネスは、ウェヌス女神の力を借りて競争に勝利した。女神の与えてくれた三つの黄金の林檎を、アタランタに抜かれそうになるとき一つずつ放り投げ、それをアタランタが拾っている間に先を走った。「乙女はずっとひきはなされてしまい、勝ったヒッポメネスは、その褒賞である妻を故郷につれて帰った」のである。女神ウェヌスの尽力あっての勝利であったのだが、ヒッポメネスは感謝の香もささげなかった。女神は「見せしめにするためにふたりにたいして断固たる処置をとることにした」。キュベレ女神を祀る神殿のお堂のそばを二人が通りかかり休息を求めたとき、ウェヌスはヒッポメネスの心に「時ならぬみだらな欲情」を吹き込んだ。ヒッポメネスは、お堂近くの聖地としてあがめられてきた「天然の凝灰岩の円屋根におおわれた、洞穴のような小暗い場所」にアタランタとともに入って、その神聖な場所を「けしからぬ振舞いでけがしてしまった」のである。かくしてキュベレ女神の怒りを買い、二人は獅子に変えられ、「ほかの者にはおそろしく見えるけれども、口に轡(くつわ)をかまされて、おとなしくキュベレの車を牽いて」いることになるのである。
 岩波『ギリシアローマ神話辞典』(1975年)によれば、「なおエピダウロスEpidaurosの地には《アタランテーの泉》があり、彼女が狩の途中渇を覚えて、槍で岩を撃ったとき湧出したと伝えられる」とある。このアタランタ(アタランテー)は、男子を欲しがっていたテゲア王によって棄てられやがてすぐれた女猟師になったアタランタで、『転身物語』(人文書院)の注(巻十の100)では、「脚がはやくしばしば同一視されるけれども、一応別人物である」としている。
 いまはペロポネソス半島めぐりで、コリントスとセットで訪問するらしいエピダウロスの地には行っていない。コリントス遺跡は若いころ訪問しているが、まだ遺跡発掘調査の段階であった。エピダウロスは、治癒神アスクレピオスを祀る神殿と古代劇場跡が知られる。ここで妖しいヌード撮影をしたというドイツ人写真家とモデルが、アスクレピオス神の怒りによって獅子に変えられるのだろうか。 
 http://oasis.halfmoon.jp/extphoto/greece8.html(「写真集:コリントスエピダウロス」)
 http://www.mesogeia.net/trip/epidauros/epidauros.html(「ギリシアへの扉:エピダウロス遺跡」)

治癒神イエスの誕生 (ちくま学芸文庫)

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転身物語 (1966年)

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オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)

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オウィディウス 変身物語〈下〉 (岩波文庫)

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