山本七平&小室直樹の対談

 
 気鋭の歴史学者那覇潤氏が、Twitterに「先日、研究のために山本七平小室直樹の対談本を古書で買ったら(かつて広く読まれた一般書なのに)2万円とられました」と書いているのを眼にした。本日津田沼PARCO4Fの芳林堂書店にて、話題の『日本人はなぜ存在するか』(集英社インターナショナル)を購入してきたところだ。読むのが愉しみ。
 與那覇潤氏の買った古書とは、『山本七平小室直樹対談:日本教社会学』(講談社)のことであろうか。ほかの七平対談本とともに庭側廊下隅の書棚で発見、パラパラ捲ってみた。第一章中『言霊と「言論の自由」』のところが面白い。


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小室:しかし、仮に完全に証明されたとしても、その命題が仮説であることには変わりはない。なんとなれば、現代科学で使用される実証法はすべて不完全帰納法でしょう。だからその人が観察ないしは実験した場合にはみなそのとおり起こっても、観察しなかったところで別のことが起きているんじゃないかということはあり得るわけでしょう。だから、本当の科学者であれば、いかなる場合でも、自分の意見が仮説であることを絶対否定しないですね。厳密に証明されたかに見える科学的命題ですらこのありさまです。いわんや、そこまで至らない個人の意見においておや。これを単なる仮説以上のものだと思いこんでいるとしたら、それはずいぶん思い上がった態度です。
山本:それと関連して、おもしろいのはユーモアのとらえ方なんですが、アングロサクソンのユーモアと、日本の諧謔とはたいへんに違います。アングロサクソン人というのは、英語圏にせよ、アメリカにせよ、文化を異にし、信仰を異にし、人種を異にする人がたくさんいるでしょう。だから立場をつきつめていけばお互いに悪魔なんですね。しかし、それじゃ人間関係はなりたち得ない。おまえもこういうことをいう、おれもこういうことをいう。しかし、どうせ両方とも仮説にすぎないんじゃないか、そう真剣にならないようにいたしましょうということの宣言(ディクラレーション)なんですよ、アングロサクソン的なジョークというのは。
                     ……同書p.58
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20111124/1322097926(「〈江戸時代〉からの脱却」)