五木まりコンサート「炎のエディット・ピアフ」



 昨晩12/16(月)は、東京千代田区の内幸町ホールにて、五木まりさんのコンサート「炎のエディット・ピアフ」を聴いた。エディット・ピアフ没後50年のリクイエムコンサートと銘打たれている。第7回(1970年)日本シャンソンコンクール優勝の実績をもつ五木まりさんは、昔は五木マリとして、銀座8丁目の銀座ソシアルビル4Fの「Chez Marie(シェマリー)」、そして引っ越して同8丁目阿波屋ビルB2の「G線」のママを務めつつ、シャンソンを聞かせてくれていた。昔わが高校の国語の師であった野山嘉正氏(現東京大学名誉教授)が、東大教授就任直前に『日本近代詩歌史』(東大出版会)を上梓し、高校で教えを受けた者たちらによるその出版を祝う同窓会が催され、2次会会場として急遽こちらが「Chez Marie」に案内したことがあった。野山嘉正先生ほか総勢20人ほどであったかと、記憶している。五木ママは、急襲にも拘わらず微笑を絶やさず応対していただいた。そのなかには、いま一票の格差訴訟で活躍中の、当時は少壮の久保利英明弁護士などもいた。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20130411/1365652173(『銀座のクラブ「G線」で聴いた』)
 歌手五木マリさんは、樹摩璃を名乗る時期を経由して、いま新たに五木まりの名で蘇ったようである。本格的な音楽活動の再開を慶びとしたい。五木まりさん、声も容姿も昔と変わらず美しかった。バック演奏(Piano&Violin&Cello)は、ルーマニア人のメンバーによる。とても美しい旋律に酔わされた。
 




 当日の曲目は次の通り。
(アンコール曲は、「SAYONARA」)

 なおコンサートの前には、ルーマニアのグラス赤ワインが供され、終演後、一人ひとりに花束が土産にと用意された。五木まりさんの心配りである。「お・も・て・な・しルーマニアワインいかがでしたか?」と、MCで語った。可憐さを失っていない。連れ合いが、小さなバラの花束を選んだ。その隙に、客を送るため出入口で立っていた五木まりさんと握手をしていただいた。昔のことを覚えていて感激。
 http://mari-itsuki.com/(「五木まりオフィシャルサイト」)

【追記】エディット・ピアフの「愛の賛歌」は、過激な愛の表現の歌であったが、岩谷時子さんは歌手越路吹雪さんのために創作詞のようなソフトな内容の訳詞をしている、との五木まりさんの説明があった。今回は岩谷訳詞の「愛の賛歌」と伝えてから唄った。これは適切。美輪明宏さんは、あくまでもピアフの歌詞に忠実に唄う。唄われる場次第で、どちらでもよいと思う。