ジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc)主役の演劇・音楽・映画


 歴史上のフランス 15世紀の「オルレアンの乙女」、20世紀にカトリックの聖女として認められたジャンヌ・ダルク(Jeanne  d'Arc)をヒロインにした物語は、演劇・音楽・映画でとりあげられているようである。こちらが観た、あるいは聴いたものは、以下の通り。

【演劇】
劇団四季公演、ジャン・アヌイ作、浅利慶太演出『ひばり』1978年日生劇場にて。
劇団風公演、マティ・ヴィスニュック作、ペトル・ヴトカレウ演出『ジャンヌ・ダルク—イオアナと炎』2009年8月東京東中野・レパートリーシアターKAZEにて。

 

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【音楽:劇的オラトリオ】
ポール・クローデル台本、アルテュールオネゲル作曲、若杉弘指揮・訳詞上演『火刑台上のジャンヌ・ダルク』1996年11月日生劇場にて。

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✽マルグリット役は、急病により平松英子→悦田比呂子に変更している。
聖母マリア役を歌った佐藤しのぶ(ソプラノ)さんは、2019年9/29逝去。

【映画】
カール・テオドア・ドライヤー監督『裁かるるジャンヌ』DVDにて。
リュック・ベッソン監督『ジャンヌ・ダルクBS放送にて。

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若杉弘さん指揮の生演奏を聴いたのは、記憶ではたった1回のみ(※記憶違いであった)。1996年、訳詞上演『劇的オラトリオ:火刑台上のジャンヌ・ダルク』(於日生劇場)だ。ジャンヌ・ダルク=タマリ,マリアム、聖母マリア=佐藤しのぶ、マルグリット=悦田比呂子、ドミニク=高橋大海というcastingで、合唱は二期会合唱団ほか、演奏は新星日本交響楽団。バックスクリーンに炎が舞い上がる映像が映され、演奏とともに感動的な幕切れであった。この公演をマクラにジャンヌ・ダルク劇のことを、かつてわがHPに記載している。若杉弘さんが飛んでしまっているが、再録しておきたい。(2011年7/26ブログ)
……(2009年)7/21に亡くなった、若杉弘さん指揮NHK交響楽団演奏(1989年12/7)、オネゲル作曲・劇的オラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』の感動を思い起し、パンフレットを探しつつ故人を偲んでいたところ、前から注目していた劇団「風」が、ルーマニアの劇作家マティ・ヴィスニユックの新作『ジャンヌ・ダルク』を上演するとの広告が目に入った。タイミングよしと、衆議院議員選挙投票日前日8/29(土)に観に行った。場所は、東京東中野の劇団常設の小屋で、東中野駅からつづく商店街の道の両側に「風」のフラッグが飾られ、まるでJリーグサッカー競技場に辿り着く道のようだ。地域の支持を得ているこの劇団の存在感はたしかなものといえる。
 ルーマニア人(?)俳優3人が参加し、日本語の台詞と交錯するが、日本語の字幕が出るので、かつてのギリシア人女優の出演した、蜷川幸雄演出『オイディプス王』(築地本願寺境内公演)ほどの違和感は感じられなかった。演出は、ベトル・ヴトカレウで、人形・仮面を多用して、ときにはフランス「太陽劇団」の『堤防の上の鼓手』風、ときには「花組芝居」の泉鏡花『夜叉ケ池』風の演出を思わせ、現代演劇の多彩な手法が随所に散りばめられている。芸術監督浅野佳成氏の依頼で、日本の若い観客のために書き下ろされた作品であるとのこと、なるほどうなずける。芝居の魅力がたっぷりと盛り込まれていて、しかも、チャウシェスク独裁政権下でフランスへの亡命を余儀なくされたこの作家の、制度的権力の抑圧と真実なるものへの妥協なき希求との葛藤・相克が訴えられていて、終演後にずしりとした感動が残り、あまり観劇体験のない者にも親しみやすい舞台となっていた。
 劇の進行は、旅役者たちが演じるジャンヌ伝説という設定であるが、ジャン・ルノワール監督、アンナ・マニャーニ主演の『黄金の馬車』、カレル・ライス監督、メリル・ストリープ主演『フランス軍中尉の女』ほか映画ではお馴染みの設定で、演劇でも、平幹二朗演出・主演の『オイディプス』など印象に残っている。

 これを機会にと、手持ちのカール・ドライヤー監督『裁かるるジャンヌ』のDVDを鑑賞してみた。オスロで発見されたポジ・プリントから直接起こしたネガから作られたDVD(紀伊国屋書店)で、映像の信頼性は最もたしかであろう。ジャンヌが火刑台で焼失するまで徹底的にリアルに描かれている。1928年完成の作品であるからもとより無声映画であるが、最後まで執拗にジャンヌ(ルネ・ファルコネッティ)の、見えないものを見ようとする大きな瞳を撮ったこの映像のインパクトは測りがたい。また日本盤オリジナルの、柳下美恵のピアノ伴奏も素晴らしく、感情の抑制と昂揚が知らず導かれる。制度的権力内部に善意も悪意も怠惰も混在していても、けっきょくは「関係の絶対性」(吉本隆明)によって、一人の無垢な魂が抹殺されてしまう悲劇を、じつに冷酷に描いている。傑作である。
 かつて観劇した劇団四季浅利慶太演出、ジャン・アヌイ作『ひばり』(1978年・於日生劇場)パンフレットで、高山一彦氏が述べている。
『こんな点から見る時、ジャンヌとは、支配者の政治世界のからくりと、支配者の一角をしめて難解の神学概念で武装する聖職者の前に立たされて、その純粋な心情と勇気の故に抹殺された一少女と見なすこともできる。
 逆にいえば、術策を本質とする政治の世界と、人間自然の心情のきびしい規制を本質とした教会に抗して健気に殉じた《真の人間》を、ジャンヌ裁判の中に求めようとする作家たちの関心が、今日までの多くのジャンヌ作品を生み出してきたのではないか、と私は思う。』(2009年9/1記)