一昨日8/28(水)の夜、「重力/Note」公演・芥川龍之介原作『芋粥』を観劇した。東京中野のRAFTという演劇スペースが会場。35人ほども入れば満員になる空間であった。【文学+−×÷(加減乗除)】と銘打って、芥川龍之介の諸作品を六つの劇団が競演するという企画への参加公演である。「重力/Note」公演は、8/27、8/28の2回。今回は、主宰する鹿島将介さんは監修の立場で、演出・構成は永井彩子、出演は平井光子。宮下交差点の闇のところで、案内役として鹿島さんが立っていた。それにしても秋の風の音も聞こえぬなか、会場へは地下鉄中野坂上駅からけっこう歩くので、疲れた夜の観劇ではあった。
原作「芋粥」を忠実に再現したものではなく、ひとりの人物が語り手になったり登場人物になったり、あるいは役者の身体そのものになったりしつつ、〈芋粥〉に象徴される、欲望の対象となる価値あるもの、そして人生を支える夢とは何であるのか問いかけていく。歯を磨く動作を繰り返し、メディアに意味づけされかねない日常と生理的・動物的側面を露にし、観客を挑発する。
原作からの引用もそれなりにある。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/55_14824.html(「青空文庫『芋粥』」)
主人公の「某(なにがし)と云う五位」が子供らからも馬鹿にされるところの描写。ここは完全な引用ではない。
『「何ぢや、この鼻赤めが。」五位はこの語(ことば)が自分の顔を打つたやうに感じた。が、それは悪態をつかれて、腹が立つたからでは毛頭ない。云はなくともいい事を云つて、恥をかいた自分が、情なくなつたからである。彼は、きまりが悪いのを苦しい笑顔に隠しながら、黙つて、又、神泉苑の方へ歩き出した。後では、子供が、六七人、肩を寄せて、「べつかつかう」をしたり、舌を出したりしてゐる。勿論彼はそんな事を知らない。知つてゐたにしても、それが、この意気地のない五位にとつて、何であらう。……』
藤原利仁の下での酒席の席で、「芋粥に飽きたい」との夢をもつ五位が嘲笑される件(くだり)。ここは、人が生きなければならない俗世間というものを暗示していて、大事な場面である。
『五位は赤くなつて、吃(ども)りながら、又、前の答を繰返した。一同が今度も、笑つたのは、云ふまでもない。それが云はせたさに、わざわざ念を押した当の利仁に至つては、前よりも一層可笑をかしさうに広い肩をゆすつて、哄笑した。この朔北(さくほく※北)の野人は、生活の方法を二つしか心得てゐない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑ふ事である。
しかし幸(さいはひ)に談話の中心は、程なく、この二人を離れてしまつた。これは事によると、外の連中が、たとひ嘲弄にしろ、一同の注意をこの赤鼻の五位に集中させるのが、不快だつたからかも知れない。』
藤原利仁の誘いで粟田口に向かうところ。「潺湲たる水の辺」などとその通り声に出し、芥川龍之介の原作をしかと思い起こさせる。
『冬とは云ひながら、物静に晴れた日で、白けた河原の石の間、潺湲(せんくわん※さらさらと水が流れるさま)たる水の辺(ほとり)に立枯れてゐる蓬(よもぎ)の葉を、ゆする程の風もない。川に臨んだ背の低い柳は、葉のない枝に飴の如く滑かな日の光りをうけて、梢にゐる鶺鴒(せきれい)の尾を動かすのさへ、鮮かに、それと、影を街道に落してゐる。東山の暗い緑の上に、霜に焦げた天鵞絨(びろうど)のやうな肩を、丸々と出してゐるのは、大方、比叡の山であらう。二人はその中に鞍の螺鈿(らでん)を、まばゆく日にきらめかせながら鞭をも加へず悠々と、粟田口を指して行くのである。』
芥川龍之介作品ではほかにも、「追憶」から次のところの引用があった。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/1141_15265.html(「青空文庫『追憶』」)
『僕は時々狭い庭を歩き、父の真似をして雑草を抜いた。実際庭は水場だけにいろいろの草を生じやすかった。僕はある時冬青(もち)の木の下に細い一本の草を見つけ、早速それを抜きすててしまった。僕の所業を知った父は「せっかくの蘭を抜かれた」と何度も母にこぼしていた。が、格別、そのために叱られたという記憶は持っていない。蘭はどこでも石の間に特に一、二茎(けい)植えたものだった。』
さらに「父」からは、風采の上がらぬ友人の父についての描写だったろうか。いずれにしろ、五位を嘲笑する子供たちと重なる場面である。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/30_15215.html(「青空文庫『父』」)
平井光子のパフォーマンスとも演技ともとれる身体表現が繰り返される。世間につながるドアと電話とPCが、象徴的に使われる。しかし衝撃的であったかといえば、否である。原作「芋粥」に登場する狐が出てこないのは、『ハムレット』で先王の亡霊が現われないようなもので、いささかもの足らない。
昔PARCO SPACE PART3で、タデウス・カントール演出の『死の教室』と同じころ観た、メレデス・モンク演出の『少女教育』の舞台を思い出した。
- 作者: 芥川龍之介
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