夭逝(ようせい)の花


 夭逝の詩人立原道造が心を寄せたと言われる『ギリシア神話』の「ヒュアキントゥスの物語」は、オウィデイウスの『転身物語』(人文書院)にある。死の件(くだり)は、次のように語られている。
……すでにして太陽は、来るべき夜とすぎさった夜との中間にかかり、両方からひとしい距離にあった(真昼間の意味)。ふたり(※ポエブスと美少年ヒュアキントゥス)は、着ていた衣をぬぎ、油をぬった肢体をひからせながら、大きな円盤を投げて腕をきそいあった。まずポエブスが円盤をもってはずみをつけ、空たかく投げあげ、行手をさえぎる雲をその重みで切りさいた。しばらくたってから、円盤はどさりと地上に落下してきて、投げ手の力と技をしめした。これを見ると、向こうみずなタナエルスの少年(※スパルタの少年=ヒュアキントゥス)は、負けるものかと夢中になって、すぐさま円盤を拾おうとして駈けよった。ところが、円盤は、落下のはずみでかたい大地からはねかえり、ヒュアキントゥスよ、おまえの顔にあたったのだ。少年も神(※ポエブス=アポロ)自身も、おなじようにまっ蒼になった。神は、たおれた少年をだきおこし、からだをこすったり、かなしい傷口からながれる血潮をぬぐってやったり、薬草をあてがって去りゆくたましいをひきとめようとしたりした。しかし、これらの介抱は、なんの効果もなく、傷はついに癒すことができなかった。ちょうど水を引いた花園ですみれや罌粟(けし)や黄いろい花粉をつけた百合の花などを手折ると、すぐにしぼんでぐったりとまがり、身をささえきれなくなって頭を地にむけるのとおなじように、死にゆくヒュアキントゥスも、顔をぐったりとうなだれ、力のぬけた首は、重たげに肩の上にのけぞった。……(田中秀央・前田敬作訳:同書pp.349~350)
 この後神アポロ(=ポエブス)によって、ヒュアキントゥスは「新しい花」となったのであった。百合に似た深紅の花であった。一説ではこの花は、ヒヤシンスではなく、イリス・ゲルマニカ(ジャーマン・アイリス)であろうとのこと。
 ※「ポエブス」は、高津春繁著・岩波『ギリシアローマ神話辞典』では「ポイボス(Phoibos)」。
 なお立原道造の命日3/29は、「風信子(ヒヤシンス)忌」が催されている。
 http://sky.geocities.jp/writingslate/wasteland.html(「T.S.エリオット『荒地』のヒヤシンス娘」)

立原道造  鮎の歌 (大人の本棚)

立原道造 鮎の歌 (大人の本棚)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の 、ヒヤシンス(ヒアシンス) 。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆