睡眠について


 午後イトーヨーカドーにズボンの引き取りに出かけるまでの間、炬燵でアリストテレスの「睡眠と覚醒について」という『自然学小論集』(岩波『アリストテレス全集・6』所収)中の考察を読んだ。人間のみに限定せず感覚をもつもの=動物全般にあてはまる様態として、睡眠について論じていて、「栄養をつかさどる部分」はあっても、「感覚する能力の部分を有しない」植物の場合は、「睡眠も覚醒も起こらないということが明らかである」ので議論の対象外とされる。たしか『随想録』のどこかで、睡眠をいわば短い死の体験のように捉えていたモンテーニュに共感を覚えるが、ここではそれはよろしい。
……したがってもし覚醒が、感覚が解放されていることであるということとして規定されるならば、そして反対なものの属の一方が現われている場合には、他方の属が現われていてはならないとすれば、そして覚醒が睡眠の反対であって、すべての動物にその一方が必然に起こらねばならないとすれば、睡眠が必然に起こらねばならないであろう。さてもしこのような様態が睡眠であるならば、すなわちそれが覚醒の過度による力の喪失であるならば、そして覚醒の過度が或るときは病気から生じ、或るときは病気なしに生じ、したがって力の喪失も休止も同様にして生ずるならば、醒めているものはすべて眠りうることが必然である。というのは絶え間なく活動することは不可能だからである。……(岩波『アリストテレス全集・6』pp.242~243:副島民雄訳)
 アリストテレスの議論では、感覚の中でも「先ず第一にすべての動物に属しているのは触覚である」とし、感覚をもつそれぞれにおいて各々の感覚に共通な能力は「同時に触覚とともにあることが最も顕著である」ことから、睡眠が起こるのは、「すべてのものを感覚するところの第一感覚器官においてそれが起こる場合」ということになる。 
「放心や或る種の窒息や失神」も感覚能力の喪失を生ずるが、睡眠の場合は、「栄養〔の過程〕に伴う蒸発よりしてこの様態は生ずる」ところに違いがある。食べ物の流動物と固形物とが食後上昇し、あるところで逆転して下降し、「熱を押し出す場合には、いつでも睡眠が起こり動物は眠るのである」。酒など呑むと眠くなるのは、それからの「蒸発が多量だからである」ということになる。同じ原理で、上体の大きさが下体の大きさに比して勝っている「幼い子供は食物が全部上昇するために甚だ多く眠るのである」。
 同書「訳者注」によれば、「睡眠にとって内在する熱が始動因、栄養の蒸発物が質料因、睡眠の定義が形相因、保存が目的因である」。 
 なおこの考察の英語訳が下記サイトにある。
 http://www.bauddha.net/_e-text/-aristotle/aristotle_sleep_sleeplessness.html(「睡眠と覚醒について(英訳)」)