大河ドラマ『平清盛』雑感

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20111124/1322097926(「〈江戸時代〉からの脱却」)
 昨年11/24付のブログにまとめておいたように、與那覇愛知県立大学准教授の『中国化する日本日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋)によれば、平清盛ほかこれまでの通俗的日本史理解とは異なる人物評価が知られる。宋王朝の時代に確立した中国社会のあり方と比較して、
……(宋王朝にあっては)皇帝および科挙官僚集団の権力独占をコントロールする機能を果たしたのが、「理想主義的な理念に基づく統治行為の正統化」で、朱子学がその土台となった。
 これに対して「江戸時代」に完成した日本の文明の特質は、(1)政治と道徳の弁別(政治は利益分配のことで、高邁な政治理念や、抽象的なイデオロギーの出番はあまりない)、(2)地位の一貫性の低下(政治的・社会的地位と経済的地位が一致しない)、(3)農村モデルの秩序の静態化(前近代における世襲の農業世帯が支える地域社会の結束力が高い)、(4)人間関係のコミュニティ化(「イエ」および「ムラ」への帰属意識が優先される)の五つで、宋王朝以来の中国社会の特質をそのまま裏返したものである。 
 宋の時代以降中国史において、明王朝の時のように「江戸時代」的な社会への揺り戻しがあっても、それは例外的で基本の構造は継承されて現代に至っている。日本史の場合は、後白河平清盛・後醍醐・足利義満のときに「中国化」の契機が生まれたが主流とはならず、一度は銭納化されたはずの年貢が米で納めるという逆行現象が生じ、「究極の自給自足的農業政権である徳川幕府ができる」。明治維新による「中国化」のあとも、第二次世界大戦のあとも、「再江戸時代化」の逆行は起こっているのである。……
 とすれば、もっとこのドラマへの関心が高まってもよさそうに思えるが、視聴率なるものは低いままらしい。そのことは、個人的にはどうでもよいことではある。

 後白河法皇松田翔太)と平清盛松山ケンイチ)との双六遊びが、二人の権力闘争が織りなすこの時代と、それぞれの人生を象徴している仕掛けは、昔有楽町のアートシアターで観た、イングマール・ベルイマン監督の『第七の封印』を思い起こさせる。題名が『新約』の「ヨハネ黙示録」からとられたこの映画の舞台は中世で、十字軍遠征から帰還する騎士と死神とがチェスをするシーンが印象的であった。死のcheckmateにどう対して、死神に勝てるのか、信仰をめぐる難解なテーマ追求の作品で、全体としては面白くもなかったが、何回かのチェスの場面は悪疫蔓延の暗澹たる中世の描写とともに記憶に残っている。
 前回(43回)の「鹿ヶ谷の陰謀」に加担した西光(加藤虎ノ介)と藤原成親吉沢悠)への処罰のところ、迫力あり。成親は、流罪の地の牢獄で食物も与えられず衰弱死する。このときセミも一緒に死に、倒れた成親の眼が床に落ちたセミを凝視する。セミは、あまりにミエミエの「はかなさ」の象徴。中国では「古くから、脱皮を重ねて姿を変えてゆくセミを長寿や再生の象徴とし、不老不死の薬をつくろうと」(荒俣宏著『世界大博物図鑑1〔蟲類〕」平凡社p.247)いうテクノロジーまで生まれているし、古代地中海世界にあっては「セミは破格のあつかいを受け、しばしば神の使いとして敬愛された」(同書p.243)そうである。日本の歴史劇であるから間違ってはいないとしても、小道具としての使い方が陳腐であるということだ。
 なお『平家物語』「巻二・大納言の死」では、成親は、「尼崎」の被害者のように衰弱死させられたのではなく、酷い処刑で命を落としている。
……酒に毒を入(れ)てすゝめたりけれ共、かなはざりければ、岸(※断崖)の二丈(※約6メートル)ばかりありける下に、菱(※竹・鉄の先端を削って尖らせたもの)をうゑて、うへよりつきおとし奉れば、菱につらぬかッて失せ給ひぬ。無下(※まったく)にうたてき(※みじめで無残)事共也。……(岩波文庫平家物語一』)

 さらに。いつのまにか名とともに消えてしまったが、オープニングの白拍子の舞をみずからも舞い踊り振付けていたのは、フラメンコ舞踊家振付家の鍵田真由美。このひとと佐藤浩希の共同演出・振付けの、フラメンコ舞踊劇『曾根崎心中』の舞台(2005年7月東京ル・テアトル銀座公演)は、感動した。国際的にも高い評価を受けているようである。最終回にでも、鍵田真由美振付の白拍子の舞をまた観たいものである。
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、フウセンカズラ(風船葛)の実。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆