人生の極月(ごくげつ)

 
 一昨日12/3(土)は、東京銀座某所にて高校の学年同窓会開催。Jリーグ優勝の帰趨を気にしながらの参加。入口で引いた番号くじごとに各テーブルにつく趣向なので、卒業時のクラスを越えて交流。わが隣に坐った髭の人に、「失礼ですが、どなたでしたっけ?」と、自分の名札を示しつつ訊ねれば、「Mだよ、中学のときにN君と一緒に、夏新潟県野尻湖にキャンプに行ったでしょうが」と、驚くべきご返答。しばらく経ってから思い出すほどのこちらの〈痴呆〉ぶりで、このショックからか宴の終了まで頭が冴えなかった。M君、商社の仕事で20年以上アメリカにいたとのことで、風貌もアメリカンだ。
「暁光」の詩人大岡俊明君とも直接話ができて嬉しかった。太り気味の丸山公明明治大学教授は、「向井理クンは、忙しいからこのところ研究室には来ないよ」と、無理矢理色紙所望のこちらにすまなさそう。 
 いまだブランドの肩書きをもって仕事をしている人たちも少なくないようだが、ごくろうなことである。現役のころは、責任ある立場で(かなりの後輩でFacebookの友、岡山の飯生明弁護士のことばを使えば)インカ帝国のサクサイワマン遺跡の石壁のように、隙間なくスケジュールをこなしていただろう。なお最前線で奮闘しているのは、〈食逃げ〉世代としては、立派である。
 http://ryoshida.web.infoseek.co.jp/kaiki2/133kyoseki.htm(「インカ帝国の超技術」)
 かつて読んだ「日本経済新聞」の記事を思い起こした。
日本経済新聞」2004年3/26号紙上で、経済小説の作家高任和夫氏が『引退後の「自由」を恐れよ』と題して書いている小文だ。
……会社を辞めて八年目に入って、痛感させられることがある。人は、いつかは宗教や哲学に向き合わざるを得ないのではないか。とりわけ受験勉強をしてきた世代は、ほんとうの意味の学問をやり直すべき年齢を、いまようやく迎えつつあるのではないか。……
 この文章の前に、会社を辞める仲間に繰り返していうこととして、第一に自由とはそんなに良いものではなく、必要なのは、「自立であり、自律なのだ」ということ、そして第二について述べている。
……趣味で人生を支えられると思うのは幻想だということだ。ゴルフでも俳句でもいいが、決まりきったメンバーと遊んでいても、必ずやむなしさがつきまとうようになるだろう。……
 これは人にもよるだろう。数年前の夏こちらが熱中症の目眩で入院したとき、隣の病床に、軽い脳梗塞で倒れても依然としてゴルフのことを気にしている、80歳の男性がいたことを覚えている。
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区、上:下町民家のシクラメン&パンジーの花々。下:下谷神社の銀杏。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆