そろそろわが書斎のガラス戸の拭き掃除をしようかと、3月以降頻発した余震の際その度飛び出したベランダに立てば、秋の青空である。桶谷秀昭氏のかつて新聞に掲載されたエッセイ「蒼天」の一文を思い起こした。昔創刊号から定期購読していた、故村上一郎氏とともに(のちに村上氏単独)主宰の『無名鬼』で桶谷氏の文章に接して、厳冬の風にあたるような緊張と愉悦を感じた記憶がある。
……男の平均寿命が七十六歳から七十八歳に延びたといった社会統計は、人の人生観を左右する力はない。むかしの人が信じた人生五十年をもって天命とする考え方のほうが正しいのである。還暦を過ぎ古希を過ぎて、平均寿命にまだ達していないから若いなどと思うのは妄想にすぎない。
死とは何か。死を問題として考えることを私はすでに捨てている。明治四十三年八月の漱石は大患のさなかに「三十分の死」を体験した。この三十分が百年だったとすると、よみがえった人間にとって、いまの意識は百年前の死の直前の意識に連続している。世の中が、世界が百年のあいだにどう変ろうと、秋の沁み入るような蒼天は変らずにある。(「日本経済新聞」2003年11/3)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、上ヒメツルソバ(ポリゴナム=Polygonum)、下ポインセチア(Poinsettia)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆