市場のイドラ


 9/9放送の「全国高校クイズ選手権」で優勝した開成高校生が即答した問題に、フランシス・ベーコンの「四つのイドラ」に関するものがあった。フランシス・ベーコンといえば、「帰納法・経験論・四つのイドラの三項目を結びつければ試験に通るという常識」(1981年、坂本賢三著『人類の知的遺産30・ベーコン』講談社)があるとのことであるが、「四つのイドラ」の指摘は今日でも有効なところがあるだろう。
 「人間の知性をすでにとりこにしてしまって、そこに深く根を下ろしているイドラおよび偽りの概念」とは、人の正確な認識を曇らせる先入観もしくは偏見のことである。四つあるとしているが、その一つに「市場のイドラ」がある。『ノヴム・オルガヌム』では、次のように説明されている。
…… またそのほかに、人類相互の接触と社会生活から起こるイドラがあって、われわれはこれらのイドラを人びとの交渉と交際のゆえに市場のイドラと呼ぶ。人びとは語ることによって結びつけられるが、しかしその言葉は大衆の理解に応じて定められる。したがって言葉が不正に不適切に定められると知性は驚くべき仕方で占有されてしまう。(前掲書)
 経済学者の池田信夫氏は、そのブログで、モラル・ハザード(moral hazard)を現代の問題構造として嘆く(ポーズの?)議論に触れて、そもそもこの言葉の意味を誤解していると述べている。この場合の「moral」とは、「perceptual or psychological」の意味で、「psysical hazard(物理的危険)」に対する語として使われ、保険に入ったことで、防火を怠るなどの「心理的危険」の保険用語である。そして経済用語としても、「プリンシパルから見えないエージェントの行動」という意味で定着し、道徳とは無関係であるとのことだ。
 手元の辞書(『O-LEX英和辞典』旺文社)にも、たとえば、「moral strength」や「moral victory」の用例が載せられている。これらは、「精神的、心理的」の意味だ。
 むろん誤用であっても、日本語として流通しているということで、企業活動に対する批評の正当性を主張することはできようが、「市場のイドラ」であれば、認識自体が信用できないものとなる。「放射能」をめぐる昨今の言説においても、「御用学者」などという「市場のイドラ」で、優秀な科学者を追い込んでしまわないよう注意したいところである。
 しかしギリシア語由来のラテン語イドラを近い語源とするアイドル(idol)であれば、いくら認識を惑わされても(=萌えても)、こちらは許されよう。

人類の知的遺産〈30〉ベーコン (1981年)

人類の知的遺産〈30〉ベーコン (1981年)


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