図式的なあまりに図式的な議論といえるが、大震災の被災地における不可避の課題は、共同性の再構築にあるだろう。そして、そのことは、直接の被災に遭わなかったところでも、たえず問われるべき問題であろう。現代社会学の知見に学ぶことができるだろうか。時代の水先案内人を気どった〈社会学者〉などは、信用できないところがある。
かつてHPに記載したreviewを再録したい。
◆見田宗介現共立女子大学教授の『社会学入門』(岩波新書)は、新書本ながら扱われている対象は重く、認識と思索には問題群の海の底にまで達しようとする志がある。かつて東大博士課程の時に書かれた論文「現代における不幸の諸類型」(『現代社会学講座_』有斐閣所収)以来、現代日本社会学を代表する学者となったいまも、時代の「意匠」がもたらす思考形式の相違を別にすれば、そのスタンスは一貫している。
……われわれにとって今日最も必要なことは、「疎外」の概念に関する文献学的な考証や思弁的な考察に終始することではなく、われわれの生きている現代社会のの現実の中に、疎外の具体的な存在形態を追求しそれに対する人びとの現実的・可能的な対応様式そのものの中に、疎外状況の克服にむかう主体的なエネルギーの源泉を追求することである。(「現代における不幸の諸類型」)
「イスラム原理主義」とアメリカとの対立について、吉本隆明氏「マチウ書試論」の「関係の絶対性」の概念を援用して、「関係の絶対性」という事実が「二千年前も現在も、最も困難な現実問題の基底にありつづけているということを、認識の出発点とするほかはない」とし、しかし、実践的には、
『世界中に逃げ散ってひそむテロリズムたちの息の根を止めることができるのは、アラブと五つの大陸の貧しい民衆だけです。アラブと五つの大陸の貧しい民衆が「おまえはいらない」というときに、はじめてテロリズムはほんとうに消える。』
3章「夢の時代と虚構の時代」での「現代日本の感覚の歴史」のみごとな分析は、大澤真幸氏の継承展開の議論ですでに知っていたので驚かなかったが、4章「愛の変容/自我の変容」での「現代日本の感覚変容」の考察は、新聞掲載の短歌を素材にしたもので文芸評論家的な才能も感じられ感動させられた。
最も学んだのは、巻末補章「交響圏とルール圏」の理論。これまでの共同体か、自由な主体による契約か、という社会の理想的ありかたをめぐる議論を、(ヘーゲル的にではなく)社会学的に止揚した理論的整理として大いに勉強になった。いったいに他者とは「生きるという意味の感覚と、あらゆる歓びと感動の源泉」であるとともに、「生きるということの不幸と制約の、ほとんどの形態の源泉」でもあることから、いとなまれる社会生活の理想像においては、前者の側面を積極的に実質化するありかた(共同性)と、後者の側面を最小に抑えようとするありかた(ルールの設定)の二つの圏域を関係させながら構想しなければならない。テンニエスの用語で、前者をゲマインシャフト、後者をゲゼルシャフトとよべば、いかなる時代にあっても、ゲゼルシャフトはゲマインシャフト間の関係として存在したのである。近代の市民社会においても「個人たちのゲゼルシャフトであるということはフィクションであって」、核家族を基本形とした「他のさまざまの、微分化されたゲマインシャフトの、相互の関係として」のゲゼルシャフトが成立していたのである、ということになる。
「越境する知」である社会学とはいえ、「領域横断的」な追求そのこと自体が目的になってはならぬと、序章で教授は戒める。しかし、科学=学問とは本来、どんな凡才でも、必要な段階を踏めば、ある水準までは理解できるというものである。現代の社会学は、個別に犀利な分析・考察が生み出され、「秀才の学としての社会学」になってはいないだろうか。(2009年4/14記 )
- 作者: 見田宗介
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/04/20
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