あじさいの季節は

 また季節はめぐりきて うすむらさきのほほえみはよみがえる あなたは思
い出 いつみても懐しい いつまでもあなたのそばにいると あなたの色が沁
みこんでくるようだ かけがえのない愛の色よ あなたの繁みの奥に こころ
のゆりかごを静かにゆり動かす手がある あなたの蔭に「時」のない影がある
 だがもう あなたの芯から名前は生れではしても むかしのあなたではない
 あの日のいのちとともにうすれて いつか消えてしまった ただひとたびの
美しさよ いまあなたにくまどられながら じっとあなたをみつめていると
眼が痛くなり 眼を閉じると 急にまわりが広くなる 遠いものは近くなり
近いものは遠くなる あなたの中に私が在るのか 私の中にあなたが在るのか
 わからなくなる そして 人というものが哀しくなってくる

            (「あじさい」『金井直の愛と死の歌』彌生書房)

 昔、いまは亡き詩人金井直さんの、北区西ヶ原のお宅を、某作家とともに訪問したことがある。詩人は、終始寡黙で、あとで近くの喫茶店に入ったときにも、ほとんど口を開くことはなかった。詩人の部屋の本棚に、ハイデガーの翻訳書が置かれてあったことが、大きな印象として残っている。
「また季節はめぐりきて」もうすぐ、わが家の庭でも、青紫のあじさいが贅沢に咲き乱れるころとなった。




 あじさいの花のイメージでは、ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino・Visconti)の『イノセント』を思い浮かべる。関係の修復を求めるトゥリオ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)と、恋する男への思いを隠して堅く心を閉ざす妻ジュリアーナ(ラウラ・アントネッリ)とが歩く、別荘の庭にも咲いていたが、邸宅の部屋に飾られていた花瓶のあじさいは、主人公の苦悩と愚かさをフィクションと感じさせてしまう、みごとさと美しさであった。『ベニスに死す』(ダーク・ボガード主演)のホテルの部屋にも、あじさいは存在感をもって置かれていたが、映画としての出来映えとともに、『イノセント』のあじさいのほうが感動的であった。ラウラ・アントネッリも、その後DVDで鑑賞することが多かった、放散する性的魅力を売りにしたほかの映画とは異なり、この作品では、貞淑を装った妻の秘めた激情と、覆われた肉体の官能性を表して、わがお気に入りの女優の一人となった。
(スペイン盤DVD『イノセント』)

 ヴィスコンティ監督作品ではほかに、『異邦人』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『家族の肖像』『地獄に堕ちた勇者ども』を映画館初上映のときに、『山猫』はDVDで鑑賞。いずれも主人公の破滅的死で終わる物語である。散華の美学というよりは、老残の悲哀を晒してからの終焉といった趣も見られる。みごとには散らないあじさいの花は、ヴィスコンティ作品の舞台を飾る小物としてふさわしいのだろうか。イタリアを代表する監督競作のオムニバス『われら女性』中の、ヴィスコンティ監督「アンナ・マニャーニ編」を、DVDで観ている。このオムニバス5作のなかでも、とくにイタリアの国民的女優アンナ・マニャーニの、ある体験を描いた短篇は、すてき。この小品で、たいていの映画ファンは、監督も女優も好きになるだろう。

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のカシワバアジサイ(柏葉紫陽花)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆