今年の師走も鈴木忠志の舞台観劇

 
 昨日12/24(月・祝日)は、昨年の師走と同じ東京吉祥寺の吉祥寺シアターにて、鈴木忠志演出の『シンデレラからサド侯爵夫人へ』を観劇した。「大人のための児童劇」の副題がついているが、グリムの「シンデレラ」と、三島由紀夫の「サド侯爵夫人」の二つの劇の舞台稽古という形式をとり、これまでの直球や四つ相撲ではない、パロディー風、落語風の「カーブやドロップを多用した変化球や、すくい投げや蹴手繰りのような動きの素早い、相手の意表を突くような技でいくかと決心」で演出された舞台であった。(ドロップなどという語が出てくるところは、鈴木忠志も古い野球ファンであると思わせる。)



「シンデレラ」では、アダモの曲が主で、プロコフィエフロッシーニの曲もそれぞれ流される。「演出家(監督)」(竹森陽一)の「イタリア歌劇風に」との注文で、父親(新堀清純)と王子の召使い(塩原充知)が〈二重唱〉を歌い、スギちゃん風装いの男が日本語字幕板を紙芝居のように使っている場面など笑わせた。
 http://www.youtube.com/watch?v=X4ZswBTa2pI
「サド侯爵夫人(第2幕)」は、「シンデレラ」で演出助手役を演じた齋藤真紀が、モントルイユ夫人(ルネの母親)を演じていて、これはみごと、その変幻自在に驚かされた。かつて静岡舞台芸術公園内楕円堂でこの舞台を観たことを思い起こしながら、そのピランデルロ風仕掛けを楽しんだ。美空ひばりの歌が4曲流されたが、静岡の公演でもそうだったし、ゴーリキー作『どん底』を翻案した舞台『廃車長屋の異人さん』でもそうだった。演出家は述べている。
……今やソ連という国家は、それを支えた理念とともに存在しない。一方美空ひばりも死後になって国民栄誉賞を贈られ、NHKは特集番組で彼女の過去の映像を放映したりしているが、彼女が唄いつづけた差別感と貧しさからくる闘争的な心情の演歌は滅んでいる。……(同公演パンフレットp.5)
 想像(物語)の世界でのみ〈ヤクザな〉あり方が許され、真の作家は美的表現においてその特権を享受できると考えただろう三島由紀夫は、サド侯爵におのれを仮託しこの作品を書いたとし、その美しいが内容空疎な台詞の衝突に、演出家=鈴木忠志は、美空ひばりの歌を流すのである。作者と同世代だし、「ひばりでいくか」とした「演出家(監督)」の最後の「三島さんも難しいことを言うなあ」との台詞は痛快、笑ってしまった。〈批評〉への批評があって、面白かった。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110921/1316594132(「Shizuoka 春の芸術祭2008」)
 http://www.youtube.com/watch?v=S0WqvSXazdk
 能のアド、狂言のような台詞の声の出し方は、昨年の『別冊 谷崎潤一郎』と同じで独特である。舞台上の出来事は、日常の現実とは異なることを衝撃的に示していよう。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20111220/1324357487(『別冊 谷崎潤一郎』)
 表現の「軽み」をも経てこれから鈴木忠志の世界がどう展開するのか、引き続き注目したい。
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の 多肉植物ミセバヤ。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆
http://www.manabu-oshieru.com/hyakunin/090.html(「見せばやな〜」)