野村萬斎演出『サド侯爵夫人』観劇


麻実れい篠山紀信撮影:プログラムから)
 昨日3/19(月)は、東京世田谷パブリックシアターにて、野村萬斎演出の『サド侯爵夫人』の舞台を鑑賞した。3Fの最前列という席での観劇で、高所苦手のこちらとしては芳しくない条件。1FのS席で上を見上げている中年男性を見つけ、「観劇格差」を思ってあまり高揚した気分にはなれなかった(?)。
 1990年1月東京グローブ座で上演された、スウェーデン王立劇場のイングマール・ベルイマン演出の同舞台ほか、この三島由紀夫作品の舞台化は、少なからず観ているので、記憶が錯綜していて一つに収斂しない。
 今回の舞台の特色は、モントルイユ夫人(サド侯爵夫人ルネの母)を演じる白石加代子が、「本を読んだ段階で俗物で利己的なイヤな女と思ったけれど、加えて萬斎さんは怖さやグロテスクさも出させたいようなんです」と述べている通りの存在感を示す、そのことにあろう。鈴木忠司演出『トロイアの女』や蜷川幸雄演出『身毒丸』で示された圧倒的な存在感と地の底からのような声が、この舞台では違和感を感じさせる。魔性の女性サン・フォン伯爵夫人を演じた麻実れい以外は、この演技にとても拮抗しえない。古今調の長台詞を言うのに精一杯のルネ役蒼井優ほか、シミアーヌ男爵夫人役神野三鈴、アンヌ(ルネの妹)役美波ら、情念の渦を生む気品あることばのアンサンブルを作れていない。
 民衆の暴動が過激化して、ブルボン王朝の崩壊を予想させる第3幕の場面では、それまで家政婦シャルロットが引き上げていたシャンデリアが床に降ろされたままとなり、シャルロット(町田マリー)がエプロンを外してしまう。さすが萬斎演出、シンプルな仕掛けで時代の激変を暗示しようと試みている。牢獄から解放されて訪ねて来たサド侯爵に対して、修道院に入ることを決めたルネがシャルロットに言う最後の台詞「お帰ししておくれ。そうして、こう申し上げて。『サド侯爵夫人はもう決してお目にかかることはありますまい』と」のところが音響的にも強調された演出になっていた。生身のみすぼらしいサドではなく、観念のなかのサドを発見しそれにのみ意味を認めたルネにとって、これは当然の態度であったが、さりげなく終わらせてよかったのではないか。

 当日は、D'BURNのジャケットの下にJUNKO KOSHINOのワイシャツという服装で出かけたのだが、新妻聖子がルネを演じた、東京国立博物館講堂を会場にした同演劇(2005年11月)では、ロココ様式のフランス貴族の衣装デザインを担当したのは、コシノ ジュンコさんだった。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110807/1312689438(「秋吉良人『サド』)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町に咲く沈丁花3。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆