「老い」における多様性

 昨日11/19(金)NHKあさイチ」のプレミアムトークのゲストは、ITエバンジェリストという肩書きの86歳の若宮正子さん。80代でスマホのアプリを開発した最高齢のプログラマーとのこと。いまスーパー老人が各ジャンルで存在している可能性を想像するが、だれもが後に続けるわけではない。才能の有無を別にしても、身体的にも経済的にも、また引き受けるべき責任、環境などの理由で、ただ生存の維持だけで精一杯という高齢者が多数派であろう。こういうスーパー老人紹介の情報が高齢者を勇気づけ励ますことになるのかは、必ずしもはっきりしない。

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 天野正子著『〈老いがい〉の時代』(岩波新書 2014年)は、日本映画作品に描かれた老年について、男優では笠智衆志村喬三國連太郎、女優では田中絹代北林谷栄高峰秀子などの俳優陣がそれぞれの有力監督作品で演じた老人像に即して考察していて、前半(全4章中2章)を読むだけで大いに学ぶところがあった。
 第2章の末尾の指摘に立ち止まってしまった。

 ところで近年、日本映画のなかに存在感のある老人が失われて久しい。四方田犬彦はその原因を、描くに足る威風を備えた老人の不在や、老人の経験知にもとづく威厳という見方それ自体を時代遅れとみなす風潮、老人を主役の座に置くことを拒む壮年中心の映画界の潮流に求めている〈『心をときめかす』)。確かにそういえるだろう。
 しかし、名実ともに老け役の第一人者・北林は、名老け役をつくるのは、他でもない観客だと言い切る。名老け役の不在は、自分がやがて踏み込むことになるだろう老いという未見の世界への感受性や想像力が、観客の側に失われていることを意味しているのではないかーー。(p.87)

 社会学者故天野正子さんには、拙著『社会認識のために』について過分な評価をいただいている。バルザックの『ランジェ公爵夫人』が好きだとのことで、ここが一致して嬉しかった思い出もある。

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