第49回『名作劇場』(川和孝企画・演出)「鰤」&「貧乏神物語」観劇

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 今年の1月新型コロナウイルス感染症で亡くなった演出家川和孝さんの企画演出となる、日本の近代・現代一幕戯曲公演のとうとう100回目の舞台(「貧乏神物語」)が、志を継承した人らによって実現した。99回目の「鰤」との二本立て公演。一昨日11/4(木)、両国シアターX(カイ)にて観劇。哀しみ(「鰤」)と滑稽さ(「貧乏神物語」)のバランスある好企画、味があった。

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 【古川良範作「鰤」】キャスティングC
   この劇場はJR津田沼駅から総武線で一本で着く両国駅すぐのところにあるので、いつも開演ギリギリに着いてしまい、当日も例外なく、最後尾の一つ手前の列の端の席に坐った。始まると、役者の特に女優陣の声が、難聴気味のこちらにはよく聞こえず難渋した。帰ってからいただいた上演台本を熟読、細部について理解した次第。
 田舎町の、郵政民営化以前にあった特定郵便局にあたる(らしい)民間施設の郵便局の作業場に始まり、局長家族が暮らす座敷に移り、その裏に奥座敷があるという、物語の展開とともに空間構成がはっきりしてくる展開。
 満洲からの引揚船に乗って長男の照一が帰ってくるというので、母と(その弟)叔父茂は待つが、舞鶴港に着いて1週間も経つのに連絡もなく、帰るはずの家に戻ってこない。母は、バスの音が聞こえるたびに「来たか」と胸躍るも近くには止まらない。照一の妻千代子は、母と小姑である敏江とうまくいかず実家に帰っているのだ。敏江は当時の婚期に遅れて焦っているが、近くの町の繁盛している薬屋の息子との縁談につまずいていて、人にあたることが多い。そんな状況と人間関係。結局照一は実家に帰っていた千代子と温泉に行っていて、そこから二人は照一の友人たちとともに帰って来たのだった。鰤は、長男照一にいつも用意して無駄になっていた獲れたての魚の本日の食材。鰤は母の愛と哀しみのメタファーである。照一はそんな母の痛切な思いも知らず、もう一人加わった仲間ともに奥座敷で宴会を始める。母がすすり泣くと、茂が「なあに、照一だって、あの赤ん坊が一人前になって、嫁でももらう頃になりゃ、また姉さんと同じ目に逢うんだ。……これが親子の定めなんだよ」と慰める。薬屋の息子のたっての希望で壊れかかっていた敏江との縁談がまとまり、照一・千代子が帰ってくる前の救いのようなエピソード、始まりの場面で極めて事務的に声を出していた敏江が悦びを抑えつつ昂ぶった話し方をする、役者は奥泉愛子。好演。
 なお台本中のp.22、叔父の台詞に「俺は多寡をくくっているんだけど……」の「多寡をくくる」は「高をくくる」の(よくある)間違い。

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【御荘金吾作「貧乏神物語」】
 貧乏神役を演じた女鹿伸樹が長広舌をトチらないし、上手い。貧乏人から富豪になった大沼雪夫役の根岸光太郎は、昔第54回目太宰治作「春の枯葉」の舞台で観ている。

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