聖なる槍(ワーグナー作曲『パルジファル』)あるいは棒(米国NBC制作『GRIMM』)が邪悪の力に勝つ(その2)

opera-synopsis.sakura.ne.jp 聖杯と聖槍が奉納されているスペインのモンサルヴァート城の城主アムフォルタスは、聖槍を魔術師クリングゾルの呪いによって魔女とされたクンドリの誘惑に溺れ、聖槍をクリングゾルに奪われ、そのとき聖槍でみずからの脇腹を傷つけ、永く傷痕と病に苦しんでいた。老騎士グルネマンツは、森に現われた純粋無垢な若者=パルジファルに望みを託し城に連れて来るが何も起こらない。
 しかしついにパジルファルが聖槍を奪い返しにクリングゾルの城に向かうと、そこの花園での乙女たちから誘惑があり、さらに魔女クンドリから彼の生前の母の愛と痛苦を教えられる。そしてクリングゾルの呪いによって、クンドリはパジルファルを抱きしめくちづけをする。危うくアムフォルタス王と同じ罠にかかるところだったが、この誘惑を退けた。クリングゾルは、しからばと聖槍をパジルファルに投げつけると、パジルファルの頭上で静止し彼がそれを掴むと、一瞬にしてクリングゾルの城は消えてしまう。聖槍を奪還してすぐにモンサルヴァート城に戻れたかといえば、魔女クンドリの呪いによって永い年月森の中を彷徨うのであった。
 しかしどうにか城にたどり着き、入城の前にパジルファルは身を清めてからクンドリに洗礼を施し、死んでいた森は息を吹き返した。絶望と疲労で先王の葬儀の儀式、聖杯の開帳を執行できないアムフォルタス王の脇腹に聖槍をあてて傷を癒し、パジルファルは聖杯守護団の王を引き継ぎ、聖杯に祈りを捧げると、クンドリは呪いが解かれ安らかな死の床に就くのであった。
 東京二期会オペラ劇場の宮本亞門演出、セバスティアン・ヴァイグレ指揮の『パルジファル」は(舞台装置設定を含めた)大胆な演出により、(各出場歌手の歌唱はすばらしいのであるが)観客を困惑させる。上演プログラムで宮本亞門氏は述べている。

▼人類はどんな困難な時代も、未来を信じようとしてきた。登場人物が罪の意識を重く抱きつつも過去から解放される。それが人類愛に結びつくことを祈って、今回は、原作のパルジファルには登場しない母親と息子を登場させました。現実のリアルな生活の中での人間関係が、世界を変えていくと思うからです。『パジルファル』が別世界の話だと片付けられるのではないことを願って。▼
 森と聖槍、そして聖槍による邪悪な世界の瞬時の消滅と傷の癒し、魔女のくちづけ、母と息子などのイメージは、米国NBC制作のドラマ『GRIMM╱グリム』全6シーズン123話の世界とも重なるところが大いにある。このドラマの主要舞台であるオレゴン州ポートランドには広大な森林面積のフォレストパークがあるとのことで、現代ハイテク機器を利用した犯罪捜査の街と(ゴジック的雰囲気を醸す)大自然が地続きなのもこのドラマの魅力であろう。最後に無時間性の異空間から抽象の鏡を通り抜けてこの世界に登場したラスボス髑髏を倒すのを可能にしたのも、髑髏の持つ怖るべき力を宿す杖に(それだけでは不完全であった)欠けていた一片の棒であり、大昔十字軍遠征で(グリム一族の先祖によって)秘匿されたもの、それはドイツの黒い森(Schwarzwald)にあった教会のカタコンベ(地下墓地)でグリム=ニック&友人の善玉ヴェッセン=モンローが古地図解読の末発見したものであった。亡霊の母グリム=ケリー&叔母グリム=マリーそして美少女グリム=トラブルらとともにニックは闘い、髑髏から奪った杖にかけらの棒を嵌めて髑髏に突き刺し倒すと、刹那に無時間性の異空間化したこの世界は消滅しニックがポータルの抽象の鏡を割って現実世界に戻れば、髑髏に殺されたはずの仲間はみな生きていて「おいニック何してるんだ、だいじょうぶか?」と心配されるオチ。でも完成品の杖が大きな鏡の脇に置かれていて、いっとき魔女として能力を失っていたイヴに対して、ヘクセンビースト(魔女型ヴェッセン)とハーフのザウバービースト(男の魔女型ヴェッセン)の子である幼女ダイアナが鋭く「前に戻っているね」と見破ったのである。イヴが人間ジュリエットに戻れなかったのが、なぜこの物語の大団円かといえば、ジュリエットに戻れば、(事実婚上の)恋人ニック・ブルクハルトをヘクセンビーストのアダリンドに奪われてしまった、ただの〈負け組〉の女性になり、加えて夜のスナックバーでの暴行事件の逮捕歴があり、かつ(近隣住民殺害の)容疑者候補にでもなれば元の獣医にも復帰できまい。ポートランドでは壊滅させられたが、世界のあちこちに存在する政府の秘密組織、対凶悪ヴェッセン犯罪組織=HW(ハドリアヌスの長城)から(善良なる)最強の(有給の)ヘクセンビースト戦士としてオファーがあるはずなのである。
 棒による傷口の治療についても、最大凶悪ヴェッセン組織黒い鉤爪のボス=生粋のサウバービースト(ヘクセンビーストとサウバービーストとの間の子)ボナパルトとの死闘で、魔力で飛ばされたガラス破片による致命傷を受けてしまったイヴだったが、ニックが救出して例の棒で腹に触れると少し時間をおいてから傷口は塞がりみるみる傷は消えていったのであった。しかしその直後イヴは突然ヴォーガ(ヴェッセンに変身すること)して苦しみ出した。じつはこの〈治療〉でイヴの魂が浄化され、知らぬ間に無垢の人になっていたのだ。ニックに棒のことを教えられたとき感動し、そしてトラブルと地下のトンネルに隠れて一緒にいたとき、抑えられていた感情が溢れ出し涙目となったその顔は、ジュリエットのものだった。その後イヴはいっときヘクセンビーストとしての能力を失うのである。ワーグナーの『パルジファル』で、悪の魔術師クリンクゾルの呪いが解けて、洗礼により魂が浄化されたクンドリが安らかに死の床に就くことを思わせるだろう。

 イヴがニック&アダリンドの要塞のような新居で寝泊まりしているとき、ダイアナがベッドのそばに立って、「あなたは、私のもう一人のママ、ケリーと知り合いなんでしょう。いまケリーはどこにいるの?」と訊くと、イヴは応えられずダンボール箱に放り込まれたケリーの斬首された顔を思い出すのだった。ニックの母ケリーは、レジスタンスそしてニックたちに託されて秘密に赤ん坊のときからダイアナを養育していたのだ。ニックの恋人ジュリエットのこともとてもたいせつにしてくれた。「どんなことがあってもジュリエットを手放してはダメよ」とニックにアドバイスしていたのだ。あの殺戮現場のシーンでは2Fから階段を重くゆっくりゆっくり降りてきたジュリエットが、一人置かれたダイアナを見て「ダイアナ」と呼びかけて抱き上げただけだったが、その後また下ろして、わざわざ死闘の部屋まで行ったのだろうか? 決行前にベッドをともにし、死闘で血しぶきを浴びたケネス王子が、ダイアナにわからないようにジュリエットに協働作業の〈成果〉を見せたのだろうか? 細部が気になるのである。
 なお遺体となったニックの母ケリーの生首は、政府の秘密組織HW(ハドリアヌスの長城)が秘密に管理する墓地に探し出した胴体とともに埋葬され、ニックも密かに墓参りに案内されている。

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 なおシーズン2ー8話で、夜パーティー会場から(事件が起こったため)車でニックの上司のレナード警部に送ってもらったジュリエットが、2Fに上がるとすぐ衣装を床に脱ぎ下ろしてシャワーを浴びる印象的なシーンがあった。車の去る音がなく男の欲望の視線を意識してであろう、一度も振り返ることなく玄関の階段を上がった。車中から玄関キーの隠し場所を知ったレナードが、もう一つあるはずのキーをまさぐって取り出し玄関を開け音も立てずに2Fに上がって、曇りガラス越しにジュリエットがシャワーを浴びるシルエットを覗き見しながらも躊躇い、結局帰って行った。ジュリエットは男の(間違いなくレナードの)気配を感じて「ニック?」と声をあげ、タオルを巻きつけバスルームを出たが、「眠れる森の美女」の呪いによる人生の迷走がここに始まっていたのだ。シーズン6ー7話でもニック新居バスルームでのイヴのシャワーシーンがあるが、ヘクセンビーストになろうとその美しい肩出しの肢体に変わりはなかったのだが。不覚にも涙が出てくるのである。