レンジェル・メニヘールト『颱風(Typhoon)』読了

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    ハンガリーの劇作家レンジェル・メニヘールト(Lengyel Menyhért:1880~1974)の『颱風(Typhoon)』(小谷野敦幻戯書房ルリュール叢書)を読んだ。主人公トケラモ・ニトベを含め12人もの日本人役が登場するこの戯曲作品が、1909年、ハンガリーのブタペストで上演されると大成功を収め、ベルリンでも上演され(ドイツ語版)、英語版も出てついに欧米の劇場を席捲したのであった。本書は、その英語版からの翻訳である。英語版では、愛する女性エレーヌを殺してしまったトケラモが、ハンガリー語・ドイツ語版の「病死」ではなく、サムライとして「切腹」し果てるという展開に変更されている。日本人の〈異常さ〉がより強調されているわけである。この作品の背景に、上演に先行して「黄禍論」があった。黄禍論とは、訳者解説によれば、「黄色人種が世界の(つまりヨーロッパの)文明に害と禍をもたらす怖れがあり、それを抑えなければならないという主張で、内容面からすると、文明論的・歴史哲学的な主張、類似の歴史的な伝承と記憶、軽蔑・恐怖・不安などの感情と心理、世界政策的な志向等々、さまざまの側面がここでは一つに溶け合わさっている」。しかし解説によれば、「劇の構成は、黄禍論的意図を体現するなどというところからおよそ遠いと私は思うけれども、登場する日本人たちの発言や態度と関わって、この問題で騒がれることを、作者はあるいは当てにしていたのではあるまいか」。
 トケラモとエレーヌとの愛のかたちがあまり示されておらず、御真影に全員直立不動の態度を見せる日本人たちの全体主義的圧力と、個としてのトケラモとの内心の葛藤が十分には伝わってこない印象が残った。もっとも、それが日本人というものだとの作者と観客が共有した認識があればこその上演の成功だったのであろう。詳細な訳者解説、とくに「ジャポニズム・フィクションの系譜」は参考になり興味を惹いた。