昨夜はパリで2度の『天気の子』ティーチインを行いました。パリ中のマニアが集まったのかと思うほどの踏み込んだ質問ばかり。夢のような時間をいただきました!
— 新海誠 (@shinkaimakoto) 2019年12月14日
これで、半年以上に渡った『天気の子』国内外キャンペーンは全て終わりです(たぶん)。皆さん、ここまで本当にほんとうにありがとう! pic.twitter.com/DkpfhLdmCL
うーん、新海監督には欧州の意識高い系に毒されずに、今後もエンタメを貫いて欲しい。日本の文化人って世界で評価されるとすぐかぶれちゃうんだよね…(-_-)>RT
— ☕petty_bonitas🍰 (@petty_bonitas) 2019年12月17日
新海誠監督のアニメ映画『天気の子』(未見)の聖地として、田端駅南口下車周辺が注目されているらしい。別にCMでも、西日暮里駅に続く坂道が背景となったりしている。驚いた。西日暮里駅が新設されるまでは、alma mater開成学園への通学駅が、日暮里駅西口と田端駅南口であったのだ。こちらは都電愛好家で通常は道灌山下停留所から歩いたが、谷中を通って日暮里駅西口に向かった場合より少なかったものの、(卒業してからも)目的あって田端駅南口方面へはしょっちゅう足を伸ばしていたものである。
いま文士村として知られている地区には、昔室生犀星など多くの作家・藝術家が住んでいたのであった。室生犀星晩年の愛弟子であった作家葉山修平さんも、千葉県市川市に新築・転居するまではこの地区で暮らしていた。はじめは田端の商店街の路地を入ったところの借家で、次は細い坂の途中のアパートの一室で。職業的には、徒歩通勤の開成学園で国語担当の教員をしていたのであった。田端の葉山氏宅で、ある時は、海洋堂創業者の宮脇修氏と会うことができた。その時は、宮脇童平という筆名で海洋小説を書いていたのである。だいぶ後に千葉県市川市の一茶庵(閉店)でティラノサウルスの模型をプレゼントされたのも、この時の出会いがあったからである。
ある時は、この坂道にあった葉山宅で開成学園の教員の方と一緒にこたつに足を突っ込むこともあった。国語科の野山嘉正氏(後東京大学教授:『近代日本詩歌史』東大出版会ほか)、英語科の村上淑郎氏(後法政大学教授:『ハムレットの仲間たち』研究社ほか)らとともに愉快な夜を過ごしたことを懐かしく思い出す。
折をみて田端駅南口周辺を歩いてみたいものである。『天気の子』も何らかのメディアで鑑賞してみよう。
明日は、今年最後の田端ひととき散歩!「田端に暮らした文士の食生活」と題して、文士達の食にまつわるエピソードをご紹介します。朝ごはん事情やお正月のご馳走など、何かと慌ただしい年末年始に役立つレシピも聞けちゃうかも!?どうぞお楽しみに!(´▽`) 詳しくはHPへ→https://t.co/mx86gCcS1u pic.twitter.com/yTr5BkQJmJ
— 田端文士村記念館 (@bunshimura) 2019年12月14日