【町山智浩氏の勘違い】ベルリンの壁崩壊は東ドイツ市民の大量出国の事態に東ドイツ政府が対応策として旅行及び国外移住の大幅な規制緩和の政令を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で発表した事でその日の夜にベルリンの壁に市民が殺到し混乱の中で国境検問所が開放された事で始まったハズでは? https://t.co/vxxuahjvmO
— 馬頭2501(元公安9課総務係) (@sec_kouan9) July 21, 2019
民衆が蜂起して壁が壊れたって、アホかいな。あれは1989年の11月よ。同じ年の6月に天安門事件があって、共産政権は容赦なく発砲するって、皆が思い知ったのよ。誰がよじ登るもんか。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) July 21, 2019
昔若いころ、観光バスで西ベルリンから壁の検問所を通過して東ベルリンの街に入ったことがある。人々の様子および風景がまったく異なっているのに驚き納得した思い出がある。
あの壁が壊れてもう30年になるのか、これも驚愕。その時西ベルリンの玩具店で求めたドイツ人形は、家族の不注意で脚が折れてしまったが、今もケースの中で〈健在〉である。愛読しているブログ「ウィーン発 『コンフィデンシャル』8/20付」によれば、ベルリンの壁崩壊の歴史的契機となった、1989年8/19のハンガリーとオーストリアとの国境の開放30年を祝う催しが、ハンガリー北西部のショブロン市で挙行されたとのこと。
しかしかつて東独国民のために国境を開放したハンガリーは、現在中東・北アフリカからの難民受け入れを拒否し、国境を封鎖し鉄条網を設置しているそうである。Hulu配信の『オスマン帝国外伝』を観ればわかる通り、ハンガリーはイスラム勢力に支配された歴史をもつ。警戒心はわれわれ日本人には想像できないところである。