「愛知万博(2005年)」の思い出(再録)

 世耕氏「キティちゃんの助けも…」 万博決定で喜び爆発:朝日新聞デジタル
 https://www.sankei.com/west/news/181124/wst1811240021-n1.html(『産経新聞:2025年万博、大阪で「常識打ち破る万博に」』)
 6/9(※2012年)から韓国全羅南道の麗水(ヨス:Yeosu)市で、「麗水国際博覧会: Expo 2012」が開催されるそうである。2005年の「愛知万博」に出かけたときのことを思い出す。入場したのは、平日の9/20(火)だったので、その前の連休にくらべると混雑は、格段に解消されていた。連休の一日の入場者が20万〜25万人だったのに対して、後からわかったことだが、20日の入場者は、16万人であった。名古屋駅から直通快速万博八草駅までも坐って行け、会場までのリニアも20分ほどの待ちで乗車できたのであった。リニアも坐って、ボックス席向かいの若い二人の女性の会話を楽しんだ。「まア、土日の東京ディズニーランドといったところかしらね」とひとりが言っているのに、妙に納得し、かつ安心したものだ。ゲート23番で待つこと25分ほどで入場できた。手荷物検査の他に金属探知機による全身チェックがあり、ここでベルトを外すはめにはなった。

 宿泊先名古屋観光ホテル配付の「朝日新聞」で「一夫多妻」について賛否の論争が起きているとの記事があった、 インドネシアに突然興味(?)が湧き、並ぶことなく入館できそうなこともあり、最初は「インドネシア館」に入館。蝶の飛び交う幻想的なイメージで演出構成され、好感がもてた。「タイ館」も入った。





 次に訪問した「アフリカ館」は3館あり、それぞれに各共和国のコーナーがつくられている。デニムのパンツをはいた、スレンダーでしなやかな肢体の、ひとりの若い女性の売り子さんが館内を闊歩している。褐色の肌が美しい。おびただしく陳列された仮面が欲しくなったが、混雑のなかやっかいな荷物になりそうなのであきらめた。


 あきらかに手抜きの「イギリス館」、売るひと自身がビールを呑んでいる「リトアニア館」を見物して、高校の文化祭を大きくしただけだわと思いつつ、評判の「バラのソフトクリーム」なるものを食べた。香りは微かでソフトクリームのコクもなかったが、喉の渇きもありおいしかった。
「トルコ館」は、それぞれが全体を表わすフラクタル構造になっていて、館内が暗くて閉口したが、酔わせてくれた。出口の売り場で念願の「メドゥーサの眼(ナザール・ボンジュウ)」を購入した。いままでいただいたものばかりだったので、嬉しさも格別であった。「インド館」では、白檀のフクロウの木彫りを購入した。「いくら?」「5000円だが2500円でいいよ」「ええ」「2000円」「じゃあ1800円にしてよ。こちらの500円のコースターとあわせて2300円で」「わかった」。いかにも中東かアジア風(?)でとても満足できたショッピングだった。

 当初はこの企画に関与し後に降りてしまった社会学者の吉見俊哉東京大学教授は、「愛知万博」がこれまでの万博と変わらないことと、変わったことを指摘している(「東京新聞」2005年9/16号)。氏によれば、まず変わらなかったことは、(1)「自民党所得倍増計画と地域開発が一体化した高度成長政策の中にすっぽり収まっている」これまでの万博計画と同じで、行政の態勢が変わっていないこと、(2)知識人が無力で、提案された「開発を超えて(Beyond Development)」のコンセプトは消されて、多様な解釈が可能な「環境」のキーワードだけが一人歩きしてしまったこと、の二点である。変わったことは、(1)「愛知万博では初めて市民運動の介入が強い力を発揮し、国家の計画を覆した、と言っていい」ところと、(2)「市民と並び、企業も国家を超えてしまった」のであり、「混乱しつつも開催できたのは、トヨタの存在があったから」ということである。つまり「力を蓄えてきた多国籍グローバル資本の力が、ついに日本政府の力を超えてしまった」ということなのである。 さて「麗水万博」は、後世どう総括されどう評価されることになるのであろうか。(2012年5/30記)