地域デビューとハンコの話

 わが居住地のある地域分割エリアの今年度上半期組長になってしまった。広領域エリアの役員さんが来訪、「お宅まだやってませんのでお願いします」との〈命令〉。引き受けるほかなし。
 こちらは元祖ぼっち系なので、子供たちがいて、少年ソフトボールチームのヘッドコーチを務めていた昔はともかく、いまは近所の人の顔も名前もよく知らず、おそらく向こうもこちらをあまり認識していないだろう。とにかく、町会費と日本赤十字社募金の集金に一軒一軒廻らなければならない。5/20迄に完了せよとの通達、慌てるより、何だまだだいぶ余裕あるとの判断、二日で6軒訪問、4軒分集金に成功、自信がついたところで本日は悪天候を口実に活動休止。明日は、理髪店に寄り、重症歯性感染症で長期入院中の連れ合いを見舞いに出かけるので廻らない予定である。
 そもそも町内会という組織は、機能的には行政機構の(法治国家外の)末端に位置づけられよう。本来行政が実施すべきことまで担っている。神社の氏子組織と重なっているところも面白い。また世界的にキャッシュレス社会化が進む中、一軒一軒集金に廻るという方式もアナログ的で愉快ではある。
 町会費をいただいた際に、予め作成しておいたノートの一覧表に必ず確認のために押印してもらう。この作業も面倒であるが、むろん印鑑を探す人などいない。前掲、猪瀬直樹磯田道史共著(対談)『明治維新で変わらなかった日本の核心』(PHP新書)に、ハンコをめぐって、磯田道史国際日本文化研究センター准教授の興味深い指摘があった。

猪瀬:日本で農民が人間的な生活を手に入れるのは、世界的に見て早いのだろうか。
磯田:早いです。農奴制の否定という点では、戦国末期から江戸の初めはすごいものがあります。やはり偉大なる200年なんです、1500年から1700年は。この時期に日本では綿が普及し、農業も緻密な家族経営でやるようになる。農民の識字率も上がる。
 驚くべきことに農民一人ひとりが「ハンコ」を持つという、日本型社会も誕生する。これはたいへんなことで、農民が権利の主体になることを意味します。人格として認められるから、ハンコが持てるのですから。「ハンコを持って一人前」と、私も若い頃よくいわれましたが、ハンコをみんなが持つようになるのが、1650年頃なのです。(p.114)