一昨日2/28(水)は、劇作家宮本研没後30年の命日(1988年2/28没)であった。昔中野にあった新日本文学会運営の日本文学学校の講義で、演劇についてお話を聴いたことがある。
ブログでは、宮本研作『美しきものの伝説』の三つの舞台ほか、『明治の柩』、『東海道おらんだ怪談』の舞台観劇について書いている。
http://simmel20.hatenablog.com/entry/20101026/1288074150(『「売文社」創設百年:2010年10/26』)
http://simmel20.hatenablog.com/entry/20101224/1293165294(「『美しきものの伝説』:2010年12/24」)
http://simmel20.hatenablog.com/entry/20130904/1378275764(「明治の柩:2013年9/4」)
http://simmel20.hatenablog.com/entry/20150802/1438526617(「加藤武を偲ぶ:2015年8/2」)
http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20160727/1469607106(「現代劇『東海道四谷怪談』の舞台:2016年7/27」)
(1983年1月日本橋三越劇場にて、木村光一演出『ブルーストッキングの女たち』)
※子役・魔子:吉田明代と交代出演。
平塚らいてうの年下の夫―いわゆる「若い燕」の奥村博の場合はいろいろな意味で典型的ですらある。生活上のこと、画家としての仕事上のことなどすべてを、博は全面的にらいてうにたよりきっているようなところがある。博という人物、善良なのだが、どこかひどく頼りなげであり、もどかしい印象を人にあたえるのだが、らいてうはその夫にたいして、妻として尽くすというより、母親がその子の面倒を見るといったような態度で接している。博という男性は甘んじてこれを受け入れているような人物である。これはひとつの極限である。
大正という時代を男たちがやさしかった時代だと規定できるなら、それと対応する形で、その対極にそびえ立つのが「ブルーストッキングの女たち」―すなわち、青鞜の女性たちであることはいうまでもない。しばしば誤解されるのだが、彼女たちの主張は女権の拡張にあるのではなく、母権の回復ということにあった。女権ではなく、母権である。時代の男たちはそのような眼で女たちから見られていたということである。
大正という時代、そんな時代だったということである。 ……宮本研「大正という時代」(公演パンフレット)
http://simmel20.hatenablog.com/entry/20170916/1505554047(「大杉栄&伊藤野枝命日:2017年9/16」)