四谷シモンの人形愛

東京新聞」12/8

『シモンのシモン』の初版は、1975年イザラ書房から上梓されている。わが所蔵の本は、1989年3月ライブ出版発行・せきた書房発売のもの。同書所収のエッセイ「人形とぼくとの共同生活」に、人形愛の原点を語っている件がある。なお、シモン制作の人形は所蔵していない。
……母は美しい娼婦です。僕はあえて、この誤解されやすい言葉を使っているんです。肉体を売るわけではない。精神がつかまえどころのないほど自由なんです。〝からだは売っても心は売らぬ〟のちょうど反対かも知れない。彼女が好むのは強い女、バンプ型の女。その極地として「毒婦」高橋お伝には尊敬に近い興味を示してきました。母の生活のなかには、エロティックなもの、わいせつなものがあふれんばかりなのです。小学生のころから、僕はそれを見て来た。子どもの僕にはショックだった。そのころから僕は人形を作りはじめました。それは、あのショックと関係があるに違いない。…… (pp.49~50 )
 篠山紀信撮影、澁澤龍彦監修の作品集をあらためて眺めてみる。同書掲載の、澁澤龍彦四谷シモンの対談は面白い。

澁澤:シモンの人形のなかの根本問題というのは、やっぱり神があるかないかということで、あんなふうになっているんじゃないか。それが問題だと思うよ。
シモン:具体的にいうとキリスト磔刑像があるわけですけど、あれがぼくの理想像じゃないかとこのごろ思うんです。
澁澤:それは、人形との関連はどうなんですか。
シモン:人の形の典型として、やっぱり何か……。
澁澤:そうすると、シモンは自分の実現したい理想を、人形でつくっているわけだな。
シモン:そういうふうになりたいですね。
澁澤:シモンの神と人形の問題というのは、非常におもしろい問題だと思うよ。
シモン:ああ、そんなこと感じますか。
澁澤:だって、そうじゃない。シモンがどうして、そんなに人形にこだわるかというと、やっぱり神でしょう。ベルメールは、神とは全然関係ないね。ベルメールはむしろ、バタイユなんかがいつも神というのをバカにしていたみたいにね。バタイユはいつも神が出てくるのね。/シモンは神はあるんでしょう。
シモン:「でしょう」といわれちゃうと困るけれども、やっぱり、神というのはね。だから、神を人形にすることにはどこかで抵抗もあるんです。
澁澤:しかし、神があるから、シモンは人形をつくるのかもしらんね。
シモン:好きなんですよ、ぼくは。
澁澤:神が? 神が好きというのも、おもしろいね(笑)。(pp.93~94 )
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20111129/1322554241(「共同体と人形:2011年11/29 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20130506/1367826256(「寺山修司没後30年:2013年5/6 」)