女子学生イスラーム教徒(ムスリマ)の肉感性


 ジル・ケペル(Gilles Kepel)の『中東戦記』(池内恵訳・講談社選書メチエ)に、9/11後の中東の女子学生についての面白い観察記述がある。エジプト案内役のアブー=スカンダルが、車でカイロのアイン・シャムス大学の前を通ると、「イスラーム教のヴェール着用がまた進んだか、やや後退したかを計る」私的な調査をするが、「量的側面を重視して、厳密な質的次元での考察を怠っているのではないか」と、著者ケペルは密かに疑う。
……けれども彼を弁護して言っておくと、確かに中東の女子学生の外見には、見る者に心の動揺を誘うものがある。カイロ、ダマスカス、ベイルート。いずれの都市でも、大学のキャンパスに、むせ返るばかりの肉感性が漲(みなぎ)る。ヴェール姿さえもが、もっとも低劣な妄想の中に印象づけられてしまう。ヴェール着用論者たちが望むように、風景から女性の姿を拭い去ることなど、到底できない。全身を覆ったシルエットの、唯一細く長く開いたスリットから黒い瞳がきらめく。彼女の傍らでは同級生がウェーブのかかった髪をなびかせてゆったりと歩いている。しなやかな動作の一つ一つが、ぴっちりとした服に覆われた体の線を強調する。ヴェールをしていようが、「裸で」(イスラーム主義過激派の大げさな表現によれば)いようが、互いに互いを目立たせ、浮き立たせ、引き立て合いながら、一歩でも出し抜こうと競い合っているのだ。……(pp.43~44)
 そして、「それまではビン・ラーデンになど無関心だったのが、アル=ジャジーラでビン・ラーデンの姿を見、声を聞いて、すっかり虜になってしまった」ある女子学生の声を紹介している。
……「彼だけなのよ、傲慢なアメリカの、シャロンへの支援に対してアラブとムスリムの恥辱を晴らしてくれたのは。パレスチナ人とイラク人の苦しみに心を砕いているのも彼だけなの」。しかしこれまでにビン・ラーデンがこの問題について何かをしていたわけではないのだが。この若い女性のジーンズに身を包んだ外見からは、ビン・ラーデンを生み出した極端なイスラーム主義の厳格な規則に従っている様子は露ほどにも感じられなかった。ビン・ラーデンはコミュニケーターとしての偉大な才能によって、宗教イデオロギーを共にするサークルの中で、傑出した成功をおさめた。……(pp.45~46)
 この女子学生が例外的ではないことは、男子用トイレに入ろうとした一人の女性の、「アラブとムスリムの世界に残っている男は一人だけ。オサーマだけよ」とのキメ台詞(?)のヌクタ(中東で誰もが好む小話)が流布していることでも、知れる。

⦅写真は、東京台東区下町民家のホタルブクロ(蛍袋)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆