小さな自然


 玄関に置いている鉢のシュロチクの枯れている枝のところに、ハラビロカマキリの卵鞘発見。驚いた。昨年コカマキリが庭のテーブルにたまたま置いた厚紙箱の蓋の裏に、そしてオオカマキリが立てかけてある庭箒の竹の穂先にそれぞれ産卵していた。箱は室内で保存、本日必要部分のみ切り取って庭に出した。5月になれば、いっせいに孵化するだろう。わが家の庭には、オンブバッタの一族が代々棲みついているので、これが一つの餌になっているのだろう。オンブバッタは、夏は青紫蘇、秋はコムラサキの葉を食してけっこう勢力を保っている。
 実を食べに飛んで来るのはヒヨドリである。冬は山茶花の花とともに、2本ある万両の実を食べつくしてしまう。放置している。ヒヨドリに見つからず放置されて、春まで紅い実を残す万両もあるようである。自然界の〈放置プレイ〉もなかなかなものである。英語辞書によれば、英語のbear fruitは「実を結ぶ」の意だが、比喩的に「成果を生む」の意味をもっているようだ。その意味でのbear fruitは、あくまでも努力あってのことだろう。放置=無為自然ばかりでは何も生まれないということである。

⦅写真は、東京台東区下町民家の万両の実。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆