長篇・短篇・掌篇

 中国文学者高島俊男氏の『漢字雑文』(講談社現代新書)をパラパラ捲っていると、「篇と編その他」が目に留まった。山田俊雄氏の『ことばの履歴』(岩波新書)に触れ、正字正カナ主義の山田氏が「書名・用字・仮名遣いに至るまで」岩波書店の編集方針に合わせて本をまとめた旨述べた「あとがき」では「短篇」とあるのに、本文中には「長編」と「中篇」および「短篇」そして「十篇」の用字となっている。このような不統一・不体裁は「もし筆者がそう書いたのだとすれば不見識である」が、編集者がなおしたのであろうとしている。山田氏の『ことば散策』(岩波新書)では、「文庫本三冊に及ぶ長篇」とある。
 高島俊男氏によれば、「篇」と「編」では、意味・用法が違っているということである。
……「篇」は作品一つ一つをかぞえることばである。一篇、二篇、三篇…のごとく。
 また作品のひとかたまりをもかぞえる。「前篇」「後篇」のごとく。
 また、作品の篇幅(分量、長さ)をも言う。「長篇」「短篇」、あるいは「小篇」「掌篇」などのごとく。
 竹かんむりがつくのは、昔の書物は竹片(簡)だったからである。字を書いたものを指す語は竹かんむりが多い。書籍の籍、書簡の簡、便箋の箋、名簿の簿、等々。
「編」は糸へんがついていることでわかるように「あむ」という動詞である。だからひもをあむとか毛糸をあむとかにも用い、新しくは編成、編隊などとも用いられるが、また本をつくることによく用いられる。編輯(編集)、編纂、共編などのごとく。これは昔の本は竹片を糸であんで作ったので、本をつくることを「編」と言うのである。
 かように「篇」と「編」とは意義も用法もちがうのであるが、戦後日本政府は、「当用漢字」(のち「常用漢字」)を定めて、「篇」はすべて「編」とせよ、と命じた。昭和三十一年の政府(当時の文部省)の「同音の漢字による書きかえ」という文書に、「篇→編」「長篇→長編」「短篇→短編」と指示してある。……(同書pp.102~103) 

漢字雑談 (講談社現代新書)

漢字雑談 (講談社現代新書)