日本人と第一次世界大戦

 遅まきながら、評判の片山杜秀(もりひで)慶応大学准教授の『未完のファシズム』(新潮選書)を読み始めたところである。「世界列強の不幸、厄運を余所にして、不景気知らずの日本、商売繁盛の日本、世界得意先の千客万来の日本は、一切の事を打ち忘れて、何れも戦争大明神と高歌、抃舞(べんぶ※喜びのあまり、手を打って踊ること)せり」と、大戦特需によって重化学工業を本格起動させ、軽工業にもさらなら大躍進を遂げることができた日本は、徳富蘇峰によれば、大戦から学び損ねてしまったということである。
……第一次世界大戦を経験した欧米人は、国家主義や戦争にうんざりして、それらに退場を宣告したのでは決してない。国家主義や戦争が今までとはちがった衣装をまとい直さねばならなくなったと教えてくれたのが大戦だったのだ。そのことを舞台上の登場人物たちはいやというほど学習した。けれども、列強と呼ばれる国々の中では世界大戦の事実上の局外者であった日本だけが、この新たな教訓を実感できていない。というのが蘇峰の言い分です。……(同書p.35)
 有島武郎の義父にあたる神尾光臣中将率いる攻囲軍によって、ドイツの租借地となっていた山東半島の青島(チンタオ)は陥落したが、この戦争は「大砲の数と性能と砲弾の補給量が勝負を決めるという」近代戦への転換を象徴する日本陸軍の勝利であった。神尾光臣陸軍総司令官は、日露戦争の旅順要塞攻略戦での(屍の山を築いた)経験を生かしたのであった。
 ところで、このドイツ軍捕虜の記述のところで、
……中でも徳島県の坂東俘虜収容所では捕虜に比較的自由が許されて、様々な文化活動が行われ、地元住民との心温まる交流もあり、ついには捕虜の楽団がベートーヴェン交響曲第九番日本初演までなした、といったエピソード〜……(p.51)
 とあるが、わが隣町(津田沼駅の反対側)習志野市の俘虜収容所についても忘れてはならないだろう。〈郷土愛〉から慊(あきたり)ないとの感想を抱いたのである。習志野ドイツ人俘虜収容所について書かれた本を、家の中半日あちこち探したが見つからなかった。面白い歴史事実がわかる本で、出てきたら紹介したい。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20121019/1350632737(「わがドイツ標本箱」)

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、ヒヨドリに食べられたビワ(枇杷)の実。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆