猫は苦手

 野良猫か飼い猫か定かではないが、わが家の庭に時おり猫どもが脱糞して、むろんそのまま放置して去っているので、この処理にいつも悩まされる。酷暑の季節を迎え、いささか憂鬱ではある。
 わが家周辺も畑だったところが、ほとんど宅地や駐車場になり、野良猫にも生存の条件が厳しくなってきたのだろう。同情すべき事情については理解しているつもりである。
梶井基次郎の「愛撫」では、猫について恐ろしい妄想を描いている。(『青空文庫梶井基次郎「愛撫」より)
……私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやってみたくて堪(たま)らなかった。これは残酷な空想だろうか? 
 否。まったく猫の耳の持っている一種不可思議な示唆(しさ)力によるのである。私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあがって来た仔猫の耳を、話をしながら、しきりに抓(つね)っていた光景を忘れることができない。……

室生犀星は猫好きだったらしい。「室生家の猫好きは近所でも有名だった。 で、ほかの家の人が世話できない猫を室生家の門の外に捨てていくこともあった」⦅蔀(しとみ)際子・中山際子(きわこ)・「北國新聞」2004年1/25⦆。かつてその犀星の留守居をしていた作家伊藤人誉氏の旧作をまとめた作品集『人誉幻談・幻の猫』(龜鳴屋)が、だいぶ前に上梓されている。武田花さんの猫を中心に撮ったオリジナルプリントを一枚一枚表紙に貼り付けた瀟洒な装丁である。山奥深く迷った末に穴に落ちてしまい、底からの絶望的な脱出の試みを冷酷に描いた「穴の底」と、標題作の「幻の猫」を読んでいる。「穴の底」について、亡き花田清輝が「翻訳して国際短篇小説コンクールに出してみたら、どんなものだろうとわたしはおもった」と評したそうである。どちらも見事な作品だ。「幻の猫」は、怪猫ものの伝統を継承しながら、海辺の結核病棟に舞台を設定して、亡くなった「お人好しの中年男」九右ヱ門が可愛がっていた猫が、殺生好きの男に空気銃で殺されてから、〈幻の猫〉として主人公の男にまといつく物語だ。最後にこの九右ヱ門と名づけられた猫は、猫つりの仕掛けの紐でみずから松の枝に首を吊って死んでしまう。
……「あいつ、首吊りのときには、だいぶ苦しがって、もがいたと見えますね」
 それから、ふたりは、土を掘り返したあとを見つけて、用意のスコップで、すこしずつ土をあけて行った。しかし、いくら掘って行っても、猫の死骸はあらわれて来なかった。土の下にふたりが見付けたものは、桃色の猫つり紐の残りだけであった。……
 この「猫つりの仕掛け」を、わが庭の松にセッティングできないものかなどと、一瞬危うい妄想に取り憑かれてしまいそうである。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20120725/1343207594(「現代小説」)