19世紀の乳房除去手術

 麻酔のおかげで抜歯手術もさほどの痛みもなく無事終わり4日目、幸い経過順調である。「Wikipedia」で麻酔の歴史について調べると、近代医学においては、1840年アメリカ合衆国での硫酸エーテル(ジエチルエーテル)を使用した麻酔手術が嚆矢で、それがヨーロッパに普及したそうである。したがってそれ以前の外科手術の場合麻酔処置なしの手術が行なわれていたことになる。マリリン・ヤーロム著『乳房論』(平石律子訳・ちくま学芸文庫)によれば、「乳ガンの摘出手術も例外ではなかった」のであり、「痛みを麻痺させるためにはワインか、たまにアヘンが使用されるだけだった」。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/麻酔(「Wikipedia」)
 フランス革命時の亡命軍人ダーブレイ(d'Arblay)と結婚後フランスで10年間を過ごし、晩年イギリスに戻った作家のフランシス・バーニー(Frances Burney:愛称ファニー)は、フランス在住中乳ガンにかかり、現地の医師たちによる摘出手術を受けることとなった。この「拷問のような苦痛」の体験を、手術の1年後母国の姉妹宛に手紙で綴っている。この文書によって、当時の手術の生々しい実態がわかるのである。
……バーニーはベッドにあおむけに寝かされた。顔にはガーゼを一枚かぶせられただけだったので、その布を通して彼女は自分に行なわれていることを何もかも見ることができた。「磨き上げられた金属器具が光る」のを見ないように両眼を閉じると、ラレー博士(※ナポレオンの有名な軍医)がこう言うのが聞こえた。「誰かこの乳房を押さえていてくれんかね?」バーニーは自分が乳房を持ち上げていると応じた。やがて医師の指が「乳房の最上部から下までまっすぐに降ろされ、それから真横に十字を切り、三回目に円を描く」のを感じた。つまり乳房全部を切除しなければならないという意味だ。この時点でバーニーはもう一度両眼を閉じ、「抵抗や妨害になることを一切やめ、見ることさえやめてすべて任せることを悲しくも決心した」。
 ここから「拷問のような苦痛」が始まった。……(同書p.329)
 20分間の手術が、「わずか一杯のワインを麻酔代わりに与えられただけ」で「意識のはっきりした女性に行なわれた」とのことである。想像するだけでビビってしまう。麻酔技術の発展に寄与してきた多くの医師・医学者らに感謝したい。

乳房論―乳房をめぐる欲望の社会史 (ちくま学芸文庫)

乳房論―乳房をめぐる欲望の社会史 (ちくま学芸文庫)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、上シロバナシモツケ(白花下野)、下アクイレギア・ロンギッシマ( Aquilegia longissima:西洋苧環オダマキ)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆