「偏食哲学者」中島義道氏と、「美食哲学者」加賀野井秀一氏との往復書簡集『「うるさい日本」を哲学する』(講談社)は、街で野放しになっている騒音をめぐって、日本人および日本文化の深層に迫ろうと試みていて、大いに刺激を与えられる。二人は余計なおせっかいの騒音に対して、日常ただちに抗議の行動を起こし、日本文化の異質性を排除したがるに側面に反発している点で共通しているようだが、人生観と価値観の根本のところで異なっている。そのスタンスの違いに立脚した、いわば中島氏のツッコミと加賀野井氏のボケとの掛け合いの応酬が面白い。
倫理の普遍性を確立することはいかにして可能かという本質的問題についての討議のところが、この書のヤマ場ではないか。むろん読む人によって異なろうが、そのように受けとめたい。カント学者でありながら中島氏は、このことについて懐疑的である。
……中島:つまり、よく間違える人がいますが、ヨ−ロッパの都市の景観が保たれているのは、彼らの「公共心」が高いからではなく、大多数の人がそういう都市景観を「好む」から、言い換えれば、そういう信念や感受性を持っているからにすぎません。同じように、わが国においてゴミタメのような街が出現しているのは、公共心が低いからではなく、大多数の人がそういう街の雰囲気を「好む」からにすぎず、言い換えれば、そういう感受性を持っているからにすぎません。大多数の信念=感受性という無気味なものが、いつも私たちの「運動」の前に岩のように立ちはだかっているのです。……
しかるに欧米人の感受性=信念のほうが「優れている」との「魔力のような強さ」をもった呪縛に縛られてしまう。そこから脱出する努力が必要である、との中島氏の提言に賛成である。
……中島:わが国にゴマンといるイギリスびいきやフランス病患者は、自分がイギリス人やフランス人であるかのように錯覚して、その社会を絶賛していますが、そんなことができるのは、彼らが怠惰だからであり、鈍感だからです。いや、見たくないものは見えないようにすることができるほど、ずるく卑屈だからです。……
今回のロンドンオリンピック開催で、現実を直視し、多角的に観察する「イギリスびいき」になるのではないか。あるいは「ドイツびいき」に変身するのだろうか?
- 作者: 中島義道,加賀野井秀一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/08/18
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 2回
- この商品を含むブログ (2件) を見る