現代の補陀落

 現代の補陀落は、メディア的にはどうやら小国のブータンにあるらしいが、海の彼方に観音の理想郷を求めて渡海するわけでもあるまい。ジャーナリスト田口理穂さんが著者代表の『「お手本の国」のウソ』(新潮新書)は、さまざまな活動領域でお手本とされている国の実情に関して、それぞれの国での現地滞在の生活経験をもとに、ことはそう単純でないことを各人が論じたものである。必ずしも書名に合致しているとはいえない論述もあるが、新しく知ることは少なくないだろう。
◯フランス(中島さおり=翻訳家・エッセイスト):家族の形態は変化しても、フランス人にとって「家族」はたいせつなものになっているということ。成人した子と親との関係も密である。「少子化対策」は、「出生率を下支えした」ことは事実だが、出生率上昇をもたらしたとはいえない。結婚および滑り出しが簡単な同棲の割合が高いことが、出生率に影響を与えているのではないか。
フィンランド(靴家さちこ=夫がフィンランド人のジャーナリスト):教職の人気が高く、社会的地位も高い。細かなカリキュラムや当日の時間割まで担当の先生の裁量に任されている。したがって国を挙げての「フィンランド・メソッド」なるものは存在しない。定年65歳、男女とも仕事人生で「燃え尽き症候群」もあるし、気候の厳しさも関係するのか、自殺率が高い(世界第14位)。高福祉高負担社会であることの住みやすさは間違いなく実感できるが、たとえば医療費無料の公的施設では、歯の治療は4ヵ月待ちで、風邪の診察・治療には半日待たされる、という実情がある。
◯イギリス(伊東雅雄=旅行会社勤務):『この地方選(※2011年春)の結果から見えるのは「第三極」の立場を得た政党があまりにふがいない振る舞いをしたことから、図らずも二大政党の人気が復活しつつある兆しであろう。ただ、数十年をかけ徐々に低落傾向にあった二大政党が、急激に人気を取り戻すとは考えにくく、「中ぶらりん議会」が今後、また出現する可能性も否めない。』
アメリカ(伊万里穂子=カリフォルニア州裁判所書記官):自分が裁かれる立場になった場合陪審裁判は選ばないとし、それは、仕事を休んだり、子供を預けたり、休暇の予定を変更したりしたうえ固い椅子に座らされている「このうえなく不機嫌な12人」に、自分の人生のかかっていることを決めてほしくないこと、そして、この陪審室でのやりとりさえ、ギャンブルではないかと思うこと、この二つが理由である。
ニュージーランド(内田泉=ニュージンランド在住の文筆家):「日本の研究者が最も羨ましく思い、日本に導入できればと考えているのは、駆除技術などのハード面よりはソフト面、すなわち仕組みと姿勢なのである。」『「外来生物がいると原生種は危機に脅かされる。だから、外来生物に罪があるわけではないが、ここでは駆除しなくてはならない」—この断固たる姿勢が、崩れない。』
◯ドイツ(田口理穂=ドイツ在住のジャーナリスト):ドイツ鉄道・農業省・建設省・教会などのナチスへの関与に関して、調査の公開・報告がいまだない実情がある。また、「ユダヤ人差別という大きな罪を悔いているにもかかわらず、現在のドイツでは、イスラム教徒を槍玉に上げて攻撃しているように見える。」
ギリシャ(有馬めぐむ=夫がギリシャ人のジャーナリスト)※ここは「お手本にしたくない国のウソ」:「実は大規模な財政赤字問題が問題化した後でも、ギリシャ人は日本人が思っている以上の暮らしをしている。そもそもギリシャ人のライフスタイルは、意外なほど豊かなのである。」「観光産業で働くギリシャ人は77万4200人、雇用全体の18.5%にものぼる。」「ギリシャの人口1人あたり1.5人の外国人観光客を呼んでいるほど、欧州の小国としては健闘している。現地での「観光しやすさ」があるからで、それは、1)英語が通じることと分かりやすい交通表示、2)リゾートの島々の伝統的な景観の保存、3)「見るだけ」に留まらない魅力づくりの、三つの取り組みが可能にしている。

「お手本の国」のウソ (新潮新書)

「お手本の国」のウソ (新潮新書)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のプリムラ・フィルクネラエ(Primula filchnerae)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆