アブダクション(abduction)について

 

 パース(Peirce)の著作は、昔中公『世界の名著48』所収「論文集」中の「現代論理学の課題」を読んだのみであるが、1972〜73年ハーバート大学哲学科客員研究員であった故米盛裕二氏の『アブダクション・仮説と発見の論理』(勁草書房)での、パースの「アブダクション(abduction)」についての説明は、応用的・実践的にはともかく、だいたい理解できる。箇条書き的に整理し、みずからの創造的思考につなげたいものである。
◆パースの探求の論理学はアブダクションを主題にしながら、さらに現実の科学的探求の過程のなかに演繹、帰納アブダクションの三種類の推論を位置づけて、生きた探求の過程においてそれらの諸種の推論がたがいにどのような関係にあって、それぞれどんな機能・役割を果たし、あるいは果たさなくてはならないかを示している。(同書p.12)
◆パースにあっては、数学の仕事は推論を実施することであり、論理学は推論について研究すること、つまり推論の理論である、という基本的な違いがある。数学には数学が用いる特有の推論があるが、論理学には論理学が用いる特有の推論はない。(p.15)
◆規範科学としての論理学が扱う論理的思惟とは、規範的特質を有するものである。論理的思惟が規範的であるというのは、自覚的な規範意識のもとに行われる行為であり、「良い」「悪い」とか、「正しい」「正しくない」とか、「妥当である」「妥当でない」というふうに評定し批判し統制しうる行為である、ということである。(p.22~23)
◆たとえばx,yの連立方程式の「解」を求める演繹的推論は、前提である二つの式の内容(含意)を分析し、そのなかに含意されているxとyの値を導き出すために用いられているように、演繹的推論は、前提の内容に暗々裏に含まれている情報を解明し、それを結論として導きだす分析的推論である。演繹的推論においては、結論は前提の内容以上のことは言明しない(p.31〜32)
◆たとえば、われわれがこれまでみてきた限られた数の犬について犬は吠えるという情報を前提として、「すべての犬は吠える」という普遍的な言明を行う、帰納的推論は、部分から全体へ、特殊から普遍へと知識を拡張する、拡張的推論である。「すべての白鳥は白い」という帰納的一般化が、オーストラリアで黒いスワンが発見されて否定されたように、拡張的推論は蓋然的推論であり、前提が真(これまで観察された白鳥は白い)であっても、結論(すべての白鳥は白い)は偽になることもありうる。(p34〜35)
アブダクションの別名の「リトロダクション(retroduction)とは「遡及推論」の意味で、結果から原因への遡及推論であり、あるいは観察データからその観察データを説明しうると考えられる法則や理論への遡及推論を意味している。ケプラーは、惑星の運動に関するプラーエが集めた観察結果からその観察結果をもたらした惑星の運動へと遡及推論を行って、楕円軌道の仮説に思いいたった。(p.42〜44)
◆科学者たちの心に突然生じる閃きとか思いつきが、科学的仮説を発案し発見へと導く重要なきっかけになることもある。これを、パースは、「アブダクティブな示唆(abductive suggestion)」と呼ぶが、人間精神の合自然的(合理的)な働きであって、説明不可能な「非合理的要素」ではない。(p.48〜49)
アブダクションの推論の形式は、「1)驚くべき事実Cがある、2)しかしHならば、Cである、3)よって、Hである。」と定式化できる。仮説Hが意外な事実Cを説明するために「もっとも理にかなった説明を与えるもの」として納得がいかないときには、仮説の修正や新仮説の発案を繰り返しながら、十分納得のいくもっともらしい仮説に考えいたるまで、熟慮し推論を重ねる。仮説は、この「もっともらしさ」のほかに、検証可能性、単純性、経済性(実験コストの問題)という条件が満たされなくてはならない。(P.60〜72)
◆人間の精神は、自然との不断の相互作用を通して、それらの自然の諸法則に適応していく過程のなかで形成され発展したものであり、したがって当然、人間の精神にはそれらの自然の諸法則について正しく推測する本能的洞察力が備わっていると考えられる。(P.78〜79)
帰納アブダクションも、経験的事実の世界に関する知識を拡張するために用いられる拡張的推論であるが、前者は観察データにもとづいて一般化を行う推論であり、後者は観察データを説明するための仮説を形成する推論である。アブダクションは、1)「われわれが直接観察したものとは違う種類の何ものか」を推論、2)「われわれにとってしばしば直接には観察不可能な何ものか」を仮定する推論であるところが、帰納とは違うのである。(P.81〜102)
アブダクションは探求の最初の段階(発見の文脈)において仮説を形成する推論であり、帰納は探求の最後の段階(正当化の文脈)において仮説がどれだけ経験的事実と一致するかを確かめ、仮説を確証ないし反証する操作である。(P.108〜111)

アブダクション―仮説と発見の論理

アブダクション―仮説と発見の論理

⦅写真(解像度20%)は、東京都台東区下町民家の、上タマスダレ(玉簾)、下秋の薔薇。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆