放射線医師

 昨年は肺のCT検査を受けたが、幸い異状なしの結果で安堵したことを思い起こす。今年8月の健康診断の結果は、血圧上119(昨日家庭では上121)ほか、すべて問題なくまずは安心。しかしどんなに注意しようと、病気はどこからか襲ってくるものだと覚悟しておいたほうがよいだろう。
 30代で肺がんに罹った東大付属病院の放射線治療医、加藤大基氏が同放射線科准教授の中川恵一氏との共著として出した『東大のがん治療医が癌になって』(lohasmedeia)は、人生と学ぶことの意味など深く考えさせてくれるが、中心は、現代日本の医療システムと現状についての憤りを込めた報告と洞察である。家系的にはむしろ長寿血統で、酒もほとんど嗜まず、煙草も吸わない、食事に気を使っていた若き医師を病気に追い込んだのは、間違いなく勤務医の労働環境であろう。
 いつでも携帯で緊急のコールが入る態勢で生活することを、強いられていたのだ。たとえば土曜日の夜ゆっくりと片付け、本の整理などして午前4時に就寝した途端、6時に緊急コールが入り、すぐ病院に駆けつけ、夕暮れ時まで患者の治療に奔走。休日だと、誰もいないので必要なものをすべて自分で運んでこなければならないのだそうだ。
『この時期の自分は、いわゆる鬱病の定義に完全には当てはまらないが、気分は本当にどん底で、当時はこの自分を鬱と診断できない心療内科精神科医がいるのならその医者がヤブ医者か、自分が非典型的な鬱病であるかのどちらかであると心の底では思っていた。
 本来は鬱病であれば朝が最も鬱のはずなのだが、朝は比較的ましな状態で、夜くたくたになって帰ってきて寝る前に「今晩は呼ばれませんように」と願いながら (祈りながら)床に就くときに最も鬱が強かった。
 夜寝る前に、このまま冷たくなっていたらこの状況から解放されるのかと思うと、それも悪くないのかもしれないと考えていた。
 あるいは、この生活をあと10年続けるのと、今後5年間を好きなように使わせてくれて5年後にポックリ行くという選択肢があったら、迷うことなく後者を選びたいと考えていた。』
 人の命を預かる職業に対して、しかも、アルバイトを除けば勤務医の時給はマクドナルドのアルバイトより安いのだということである。(講演のアルバイトで高額の収入を得ているとされるニュースの医師などはごく少数なのだ。)「世界一の平均寿命や世界最低レベルの乳幼児死亡率は、このように過酷な労働条件の勤務医が支えているのだ」との、加藤氏の言葉は重い。

  http://getnews.jp/archives/130538(中川恵一氏)

東大のがん治療医が癌になって ああ無情の勤務医生活

東大のがん治療医が癌になって ああ無情の勤務医生活

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、ブーゲンビリア(Bougainvillea)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆