東京神楽坂を歩く


 昨日7/18の宵は、「神楽坂まつり」を控えて、華やぎを漂わせた神楽坂の街を歩いた。改修なった赤城神社をまず参詣、評判の「あかぎカフェ」は外から覗いたのみ。次はぜひ入りたい雰囲気であった。
 それぞれほおずきの店になるらしい、ヨシズ張りがいくつも建ち並んでいて、早稲田通りは夏のはじまりの興奮を抑えていた。飯田橋駅近くの樹々から、ようやくアブラゼミの声が聞こえはじめた。大型の台風も接近しつつあるとのこと。まさに夏である。
 飯田橋で合流した弁護士のY氏の案内で、東京理科大そば「THE AGNES HOTEL(アグネスホテル)」1F「La Collineラ・コリンヌ」に到着。連れ合いと合わせ3人でディナー『Menu La Colline」のコース料理を楽しんだ。四万十川の天然うなぎ・鱧など季節の食材がとても美味で、生ビールのあと「本日の白グラスワイン」も2杯いただき、クルミ菓子のデザート含めて満足の晩餐とはなった。支払いはY氏で、ごっつあんの企画。
  http://www.agneshotel.com/fb_lacolline.html(「ラ・コリンヌ」)
 さらにY氏の先導で、路地裏探訪。石畳の狭い道を歩くと、和風建築の「古田家」がそのままフレンチ・レストランの「ARBOL(アルボール)」があった。いまセレブご用達の店とか。
  http://www.cocokichi.jp/report/report_29.html(「ARBOL」)
 たまに可能ならば、ささやかな贅沢を体験することも必要である。Y氏は、このあとも事務所で、資料整理の仕事があるとのことで、大久保通り交差点で別れたが、なかなかたいへんな職業であると感心させられた。
 昨年5月に神楽坂・相生坂下で観た、演劇ユニット「métro」の舞台を思い出しながら帰途についた。「métro」は、出口結美子さんが結婚・退会で、月船さららさん一人の劇団となったそうだ。今秋の新生「métro」公演が愉しみではある。HPの観劇記(2010年5/26記)を再録しておきたい。
 http://www.metro2008.jp/(「métro」)


◆昨日25日(火)は、月船さらら出口結美子の演劇ユニット「métro」の公演、谷崎潤一郎原作、天願大介演出の『痴人の愛—IDIOTS—』を観劇した.千秋楽のマチネーで、今回は、人形劇での声のみで、プロデュース役に徹している出口結美子さんが、「最後の公演でーす.よろしかったらどうぞ」と、通行人に声をかけていた.場所は、東京神楽坂の相生坂を下ったすぐのところのミニ劇場、die pratze。知らない人は、とても劇場とは思うまい.少し大きい住宅といった建物、そこが今回の場所.開演直前満員.こちらが坐ったのは、天井に頭がぶつかりそうな最上段の端の席.足許の場所にスタッフの若い女性が坐ったため、脚の自由が制限されじつに疲れた観劇だった.
 ナオミが月船さらら、原作で一人称語り手の河合譲二が池下重大、スタッフの一員のような登場人物(人形劇担当)の痩せた男が、鴇巣(ときのす)直樹というcasting。
 ナオミ—譲二の関係を、加虐—被虐、騙すこと—騙されること、からかうこと—からかわれること、つまり悪女—お人好しの一方的関係としてではなく、愛におけるIDIOT(痴人)—IDIOTの関係を描こうとした演出である.ナオミは、むろん悪女の側面をもちながらも、譲二のみならず観客にも愛される女でなければならない.月船さららは好演であった.宝塚で鍛えたしなやかな肢体(原作では「肉體」でなければならないが)と動き(ダンスシーンはある)に魅了され、譲二(および想像のなかの男たち)の視線に晒されて発せられるオーラのようなものが十分に感じられた.
 愛の醸成には時間の経過が重要な意味をもつ.天願演出では、挿入される紙芝居風人形劇で浅草のカフェでのナオミとの出会いから、横浜の洋館での再出発への原作通りの経過を描き、舞台の劇であるときの出来事を遡って描いている.映画監督らしいショットの重ね方であろうが、愛(情事)をめぐって時間の経過を逆に辿る演劇といえば、ハロルド・ピンターの『BETRAYAL(背信)』を思わせる舞台の構造であって、 違和感は感じなかった。
 最後も原作の最後の文章を台詞としながら終わらなかった.
此れで私たち夫婦の記録は終りとします.此れを讀んで、馬鹿々々しいと思ふ人は笑って下さい.教訓になると思ふ人は、いゝ見せしめにして下さい.私自身は、ナオミに惚れてゐるのですから、どう思はれても仕方がありません.
ナオミは今年で二十三で私は三十六になります.(中公版『谷崎潤一郎全集第10巻』)
 この後、まだカフェの女給だったころのナオミが、待ち合わせで長いこと待たされても不平も言わず待っていてくれたところを再構成して幕とした.爛熟した愛の核になるところに、このような美しい出会いがあることを暗示した、すてきな場面だ.
或る時などはベンチに待ってゐる約束だったのが、急に雨が降り出したので、どうしてゐるかと思ひながら出かけて行くと、あの、池の側にある何様だかの小さい祠の軒下にしゃがんで、それでもちゃんと待ってゐたのには、ひどくいぢらしい氣がしたことがありました.(中公版『谷崎潤一郎全集第10巻』)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町を逍遥するアゲハ(その2)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆