「東京新聞」6/17夕刊紙上で、四方田犬彦明治学院大学教授が、「パリの映画的胃袋」と題して、パリでの映画を取りまく環境について述べている。映画制作の主体も、その過程も、国境・国籍が取り除かれつつあり、日本の映画の国際映画祭での受賞に、あたかもオリンピックのメダルのようにこだわることの愚を指摘し、エッフェル塔下にある「日本文化センター」での取り組みを紹介している。今月7日から7月にかけて、ATG(日本アート・シアター・ギルド)映画50本を一挙上映する「快挙を実行中」だそうである。1960年代〜1970年代の、大手撮影所では不可能なラディカルな映画的実験を試みた、ATGの作品群の回顧上映が、欧米で相次いで組まれ、また60年代末の「東京・新宿での政治的高揚と美学的実験の同時現象性にも、強い注目が寄せられるように」なっている動向のなかでの、パリでの企画なのだ。
イエジー・カワレロウィッチ監督『尼僧ヨアンナ』(1962年4月)にはじまり、鈴木清順監督『ツィゴイネルワイゼン』(1981年1月)で終わった、日劇文化劇場(それ以降は有楽シネマ)の19年間、初めと最後の作品を含めて、ATG配給の映画は、観たいものはだいたい観ている。セルゲイ・エイゼンシュテイン監督『イワン雷帝』も、マイケル・カコヤニス監督『エレクトラ』もここで観たのである。
四方田氏によれば、「ATG映画のなかでももっとも過激な実験精神をもち」、「先鋭的な理論家」でもある、松本俊夫監督がパリで講演し、また、この監督をめぐるシンポジウムも今月11日に開催されているそうである。なつかしい名前だ。その作品『薔薇の葬列』および、L・ピランデルロの戯曲を翻案・演出した舞台『嘘もほんとも裏からみれば…』(劇団青俳)は、成功していないと思うが、けっこう面白かった記憶があるし、たしかに「先鋭的な理論」に裏打ちされたその評論は刺激的で、当時の映画青年に甚大な影響を与えていたはずである。いま書庫からほこりを被ったATGの、あるはずのプログラムを、ほぼ〈発掘〉し、パラパラめくりスクリーンの映像を思い出しながら、時代を懐かしんでいるところである。
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町に咲く、斑入り葉のギボウシ(擬宝珠:Hosta)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆