このごろは映画館に赴かず、映画鑑賞はもっぱらDVD(「Yahooオク」か、「Amazon」の「co.jp」「com」「co.uk」「fr」のいずれかで購入)のメディアを利用している。映画鑑賞の態度・習慣としては正統ではないだろうが、映画学者の加藤幹郎京都大学教授の『映画館と観客の文化史』(中公新書)によると、必ずしもそうではないと知ることができる。「映画館(ないし上映装置)は作品と観客に真の出遭いの場を与え、その意味で作品解釈に多様な生命を吹きこみ、その存在に意味をあたえるものだから」、映画作品を孤立した実体として記述することは無意味であるという立場に立って、加藤氏は、主としてアメリカにおける映画上映の変遷を分析している。
そもそも映画が、「スクリーンに拡大投影された動画像を不特定多数の人間が同一の場所で視覚的に共有するというもの」だと広く認識されてきたのは、フランスのリュミエール兄弟の発明と興行に、映画の起源を求める、西欧中心主義的映画史観の影響が大きい。1894〜1903年の前映画館期にあっては、トマス・エディソン発明の「キネトスコープ」なる「映画館とはいっさい無縁の箱形映画装置がデパートやドラッグストアやホテルやパーラーなどに設置されていた」。(これはさらに改良されて音楽を聴ける装置を付加した「キネトフォン」になった。)同じく箱形で、箱のなかに内蔵された映写機が頭部スクリーンに映像を拡大投影するパノラム(レストラン・ナイトクラブ・ホテルのロビーなどに設置され、1940年代に流行した)などとともに、ビデオ・DVDが出現する以前においても、「原理的にはひとりで(も)映画を見ることを前提にした映画装置が数多く存在する」これまでの映画をめぐる歴史を知らなければならないのである。
「コントや奇術やアクロバットや早描き芸とならんで映画やスライド(幻燈機)の上映や歌声の披露がおこなわれていた」ヴォードヴィル劇場に、1905〜10年代次第にとってかわって設立されたニッケル硬貨1枚の入場料のニッケルオディオンは、移民の大量流入を背景にして隆盛を極めたとの指摘は面白い。今日のパラマウント社、20世紀フォックス社、ワーナー・ブラザーズ社など主たるハリウッド映画を作ったのは、移民のユダヤ人だったのだ。
『彼らは、ほとんど例外なしに幼少期に変転する運命に追い立てられてロシア、東欧、中欧などから、ほとんど一文なしで米国に渡ってきて、そこで望郷の念にさいなまれながら両親か片親を失い、あるいは父親の度重なる失敗を見ながら成長し、悲嘆と羞恥にまみれ、さまざまな障害をくぐり抜けながら商業的センスを発揮し、ニッケルオディオンの隆盛に関与し、不撓不屈の奮闘の結果、やがてハリウッド映画産業の立役者になった世代であり、その意味でまぎれもないアメリカン・ドリームの体現者であった。
新移民による新移民のための安価な娯楽がやがてアメリカ大衆文化の代弁者となり、さらに世界市場を席巻した歴史を考えあわせると、ハリウッド映画は故郷や民族や宗教あるいは父親といった自己同一性の拠りどころを失った男たちによる、そうした人間たちのための無意識的ノスタルジーの娯楽ということになるかもしれない。』
日本でも昔の映画館は、映画以外にコントやショーを張り出しの舞台で見せることはあった。たしか池袋のテアトルダイヤという映画館では、映画上映前にソフトなヌードショーまで実演していて、それを制服制帽姿で入場して見物したりできた(?)ものだった。
ニッケルオディオンは、張り出し舞台をもった中規模サイズの常設の映画館にとってかわられ、さらに、豪華絢爛たるピクチュア・パレス(映画宮殿)が登場して、完全に駆逐されてしまう。
『映画は小規模経営のニッケルオディオンではまかないきれないくらい大量の、そして多種多様の社会層の人間を観客として動員することができるようになったのであり、それにともない、巨大常設映画館への投資がいささかもリスクをともなわない健全な投資であることが社会的なコンセンサスとなったのである。』
都市郊外で人口が増加し、テレヴィ産業が普及拡大してくると、自家用車の中で巨大スクリーンの映画を楽しめるドライヴ・イン・シアターが盛んになってくる。「映画館をいわば自家用化」したのであった。しかしこれも50年代半ばをピークにして衰退していった。
現代アメリカにおいては、多くはショッピングモール内に設置され、一箇所で複数の映画作品を上映するシネマコンプレックスが、一本の映画製作と宣伝に可能な限り莫大な資金を投入し、その一本の映画から可能な限り高収益をあげるという方式で作られる「ブロックバスター映画」を上映する形態が主流になりつつある。
『シネマコンプレックスでの全国同時上映が可能になると、二番館以降での映画上映がいよいよ意味をなさなくなる。二番館以降での映画上映は、一九七五年の「最初の」ブロックバスター映画(『ジョーズ』)の成功以来、事実上ヴィデオ・レンタルやDVD販売にとってかわられ、映画館の等級づけはまったく無意味なものとなってしまった。ホーム・シアター・ブームの今日、映画館での上映がDVD販売の前宣伝にすぎないというような逆転現象すらめずらしいものではなくなった。往時の映画館の等級づけは、シネマ・コンプレックスの登場によって完全に無意味なものとなった。』
なお加藤幹郎氏のWebでの女優論はじつにすばらしく、時おり読み返している。とくにわが偏愛するマルーシュカ・デートメルスについて、「一九八〇年代のもっとも重要な女優、それはマルーシュカ・デートメルスであろう。彼女は感情と行動の女。感情移入によって行動する女である。他者の魂の叫びを聴きとり、それに身体で応える女。それゆえ熱情に、たとえ不定形であっても、それにふさわしいかたちをあたえることのできる女である」と評しているのは、わが意を得たりというところである。
http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN11/kato-interview.html(「映画学と映画批評、その歴史的展望…加藤幹郎インタヴュー」)
http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN4/katohactress.html#anchor86072(「女優論」)
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