河本敏浩氏の『名ばかり大学生—日本型教育制度の終焉』(光文社新書)は、学力低下問題を中心とした現代日本の教育論議に欠けているところを明らかにしていて、学ぶことが少なくない。河本氏は、有名予備校講師の職にあり、社団法人全国学力研究会理事長でもある。とくに大学および私立中高一貫校の入試問題にも通じていて、教育を論じる十分な資格をもっているといえるだろう.論旨を辿ろう.(◯印のところ)
◯「モンスター」あるいは「異文化」の人間とも思える無知な大学生との遭遇が「大学の教育現場で数多く起こっている可能性が高い」。
◯大学→高校→中学→小学校→家庭と、順に学力低下の責任と原因を求める傾向がある.
◯大学の定員を削減する解決策は、大学という場を縮小均衡させる結果となり、教育を受ける環境を縮小させることは社会全体の可能性を縮小させることになる.問題は育成の知恵が発揮されていないところにある.日本の大学進学率は世界的水準と比較して決して高くはない事実がある.
◯子どもの反社会的行為(校内暴力・援助交際など)が多く発生した時期は、進学競争・学力競争が唐突に激化したころと重なっている.
◯大学入試の難易度は年代によって異なり、人口の著しく減少した1966年(丙午)世代は、勉強すれば比較的かんたんに成績も上がり、人生や競争を楽観的に捉える傾向が見られる.1970年と2008年の東京大学の英語問題を比較すると、ほぼ同じ正答率であっても、圧倒的に2008年の問題のほうが量も多く難しい.だからかつては1年浪人すればひっくり返せる学力差であったが、いまは同大学の現役合格率は65%である。優秀者同士の比較では、現在50代後半の世代の学力は現在の優秀大学生よりはるかに劣っている、というのが事実である.
◯九州大学の追跡調査結果によれば、入試成績よりも、入学後の初期教育の方が、学生個々のその後の学びに対する影響力が強いということである。「一九九四年の東大三年生は、日本の戦後において比類なき受験学力を持つ、受験エリートの体現者である.このエリート学生たちが大学入学後にすさまじい勢いで勉強をやめている姿に、日本の教育の問題点が露わになっていると考えるべきである.」
◯『近年のマスコミ報道には、大学教員の尻馬に乗り、自国の子供をバカだと難じ、コミュニケーション能力がないとまで卑下する嗜虐趣味が相当広がっている.「ゆとり教育」を批判すれば、この嗜虐趣味に呼応する読者が集まり、自らの世代の能力の低さ(一九九二年の一八歳から見ればみんな「バカ」)を隠蔽する集会が立ちどころに開かれることになる.』
◯けっきょく現行の入試制度を改革し、「大学での学びが面白く見える」努力を大学人自身が行わなければ、高校以下の改革努力は、すべては小手先の改革で終わってしまうだろう.東北大学工学部は、すでにこの方向で取り組み、成果をあげつつある.いっぽうで高校卒業時に中学レベルの学力を問う資格試験を実施することも必要である.
学力・教養そのものよりも大学入試結果(=学歴)が、企業およびその他組織にとってはスクリーニング(screening)の最有力情報であり、求職者にとっては、みずからを売り込むシグナリング(signalling)のひとつの有力情報となっている限り、そのことの妥当性はともかく、おそらく日本の今後の教育制度も不変であると考えたほうがよいだろう.したがって、受験に成果をあげる学校に子弟を入学させようと涙ぐましい〈たたかい〉を試みる親たちを、批判することはできないのである.
- 作者: 河本敏浩
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2009/12/16
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