退屈について

 小谷野敦氏の『退屈論』(弘文堂)第六章「文学と退屈」では、まず人間と人間の関係が織りなすドラマの深層のメカニズムは、他人には「要約不可能」であるとし、チェーホフの戯曲作品などのすぐれた(通俗ではない)言語藝術においては、この根源的な「要約不可能性」を十全に利用していて、それ故、生活経験を積んだ大人の読者&観客には、たとえ結果がわかっていても、退屈せずにその作品の細部を楽しむことができるとしている。そして、文学者&文学研究者の社会的位置について考察を進める。
 中国にあっては、「たとえばシナの漢詩人たちは、たいていは士大夫、つまり政治家や官僚であるか、さもなくば科挙に落第してその鬱屈を紛らわす者たちだった」。日本では、『最初に職業的文学者としての意識を明確にしたのは、おそらく藤原定家だが、その定家にしてからが、統治機構の中で思うように出世ができなかった藤原家末流の下級貴族であり、「紅旗征戎(せいじゅう)わがことに非ず」と二度も日記(『明月記』)に書きつけたのは、いかにも現実政治から遠ざけられたものの屈折を示していると見える』とし、西洋においても、「文学者というものが文学者として自立した存在と考えられるようになったの」は、「十九世紀半ばから後半に起こった事態でしかない」ということである。
 文学・藝術の自立した価値(ラール・プール・ラール=l'art pour l'art)を主張する藝術至上主義は、十九世紀末ごろに成立した神話であって、作品が「本当に作者や著者以外の誰の目にも触れなかったら、まったく存在意義はないから」間違っている考え方である、としている。大いに共感をもって読める。
『「純文学」は、もはや現代の一般人には、退屈な小説の代名詞のようになってしまい、確かに芥川賞受賞作はある程度読まれるけれど、それは一般人が「文学」に対して依然として持っている崇拝の念、というより普段は敬遠しているという罪悪感の現れでしかない。「小説」が、多くの読者を獲得している間は、作家はその社会に与える影響力のゆえに、満足感を得られる。しかし、それが次第になくなっていったら—。』

退屈論 (河出文庫)

退屈論 (河出文庫)

⦅写真は、台東区下町民家の薔薇の花。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆