ことばと写真

 この度の大震災では、メディアによって夥しい数の映像と写真を連日見せつけられているが、ふつうであれば「脳裏に焼き付けられる」ものばかりであっても、悲惨な光景に眼が慣れてしまう危うさがあるだろう。これからどんなことばを紡いで、この歴史的というべきだろう体験を風化させないことができるであろうか。
 かつてわがHPに記載したreviewを思い出した。再録し、ことばと写真(もしくは映像)について、あらためて考えてみたい。

高橋世織氏編著の『映画と写真は都市をどう描いたか』(ウェッジ選書)は、刺激的な書物である。現代文学に関わろうとする者は、19世紀に定着したと高橋氏(冒頭論文「光と時間」)の指摘する《写真的な感性》のもたらした表現史上の事態について、決して無関心であってはならないであろう。
『そして、一八三九年に写真術が誕生します。「時間」が都市生活者にとって、都市の空気になったとき、「チャンス(機会、瞬間)」を窺うという写真的しぐさは、機に敏なる新興階層が成功や上昇の機会を捉えていくために身に付けるべき、必須の振る舞いとなっていったことでしょう。新興階層に覆われた「スピード」と「チャンス」という時間意識。これこそ《写真的な感性》の根幹をなしているものでした。』
 近代の小説の隆盛も、この都市環境の変化のもたらした時間意識の変容と無縁な動きではなかったのであり、「過去のことなのか、現在進行形なのか、時間操作のテクニックなど率先して時制(テンス)を自覚し、その言語形式や語り(=騙り)の技法、レトリックに鎬(しのぎ)を削ったのです」。
 エミール・ゾラルイス・キャロルなどは写真撮影に入れ込み、日本でも、尾崎紅葉(アマチュア写真クラブ会長就任)や幸田露伴も写真撮影を愛好したという。そして「ラファエル前派」の絵画に見られる、「死の時間」が顔貌や全身にまとっているような女性図像も、日常の時間を切断し、そこだけ「無限時間」あるいは「死の時間」としてしまう写真メディアの経験なしにはありえなかったし、《ワーグナー楽劇》の「無限旋律」の手法も「時間を微分し、引き伸ばし、拡大させて聴衆に経験させる視聴覚装置でもあった」と考えられるとのことである。
 この書が言語メディアの劣性を論じていると誤解してはならない。高橋世織氏との対談(「都市の死と再生」)で、建築家の石井和紘氏は、源三位頼政が平家に破れ自害した、宇治の平等院を訪れた折の感懐を述べている。
頼政はそこで辞世の歌を詠んでいるんです。僕はずっと「埋木の花咲くこともなかりしに身のなる果ては哀れなりけり」だと覚えていたんだけど、頼政の墓を見ると「身のなる果てぞ悲しかりける」と書いてあるんですね。こっちのほうがもっと切ないなと思った。平安時代の言葉がはるか後の時代の我々の心を打つのだから、言葉というのはすごいですよね。よく伝わったなと思いますね。平等院もすごい建物ですし、言葉とイメージが両方ある。それがデジカメの世界ですね。』(2007年4/14記)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町に咲く上フリージア、下チューリップ。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆