「徳性とリアリズムの併存」

 3/25(金)〜3/28(月)のあいだ、広島&北九州小倉&福岡を旅していた。小倉の「アーフェリーク迎賓館・小倉」で、長男の結婚式があったためで、これを機に、九州新幹線開設に湧く九州の空気にわずかでも触れてみたいとの思惑の旅であった。
 広島のホテルロビーでは、震災復興支援のチャリティーコンサートが催されていたり、福岡天神のどの大型店舗の棚にも、ミネラルウォーターのボトルが消えていたり、遠く離れた西日本の地で、東北関東大震災のあきらかで大いなる影響が感じられた。
(「アークフェリーク迎賓館・小倉」チャペルの牧師さん以外は、表のスタッフはすべて美人女性。)
(新郎の両親:服はどちらも自前。)
 北九州市小倉と福岡市天神の街を歩いて、あらためてこの二つの都市のパワーに驚かされた。帰りの「のぞみ」車中でたまたま目にした、「週刊ポスト4/1号」誌上の、大前研一氏の提言に考えさせられた。
『先日、九州の経済人たちとの会合で、道州制にかかわる仕組みとして「福岡都」構想を提案した。福岡市と北九州市は隣同士で小さな争いをし、しかも両方、政令指定都市だから、福岡県の権限も及ばずに、二重、三重の権力構造で非能率なことを繰り返している。福岡と北九州が協力すれば、アジアに広がる世界の企業を集める絶好のロケーションと条件を持っている。「福岡都」ならば、その財産を活かすことができるはずだ。』(同誌p.144〜145)
(唐づくりの小倉城。鳥瞰図が「余湖くんのホームページ」にあり。http://homepage3.nifty.com/yogokun/kokura.htm
(小倉のモノレール)
北九州芸術劇場のある、小倉の建物)
太宰府天満宮
 同誌は、当然のように「東北関東大震災を生き抜く」との特集記事を満載しているが、TV連続ドラマ主人公並みの「決めゼリフ」を吐くか、自慢話か、お説教か、みずからの思想的立場という「ポーズ」をとるかの寄稿文は、印象が薄い。ノンフィクション作家佐野眞一氏、齋藤孝明治大学教授、精神科医和田秀樹氏などの意見になるほどと納得するところがあったが、旅行を終えて帰宅してからも沈潜している読後感を与えたのは、評論家呉智英氏のもの。『「災害と暴利」の正義の話をしよう』と題して論じている。
『……市場原理は力学のようにリアルで非情である。それは個人の徳性を離れて存在する。/現に、震災から土日をはさんだ週明けには、日本経済の低落を懸念して株価は大暴落している。同時に「復興特需」をねらう企業や投資家もいる。建設産業などは既に特需対応を採り始めている。惨状からの復旧が一段落すると、こうした動きは更に活発になるだろう。/これは職を失った人たちの雇用創出になるし、日本経済全体の牽引車にもなる。リアルな経済感覚も必要なのだ。徳性とリアリズムの併存が国民的「集合知」として見えてきたのである。』(同誌p.129)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町で春を告げる上:ミツマタ、下:水仙。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆