トム・ストッパード作、小川絵梨子演出『レオポルトシュタット』(新国立劇場10/19)観劇

                          (新国立劇場サイトより拝借

 10/19(水)新国立劇場・中劇場にて、トム・ストッパード作、広田敦郎訳、小川絵梨子演出の『レオポルトシュタット』を観劇。『レオポルトシュタット』は、2023年1/6〜TOHOシネマズ日本橋でNTライブの上映があり、(本場)英国劇場での上演(映像)を観て、比較対照しながらまとめようかと思っているが、この舞台で印象に残った場面のみ紹介しておこう。

レオポルトシュタット | ntlivejapan
▼ストーリー
20世紀初頭、レオポルドシュタットはウィーンの古いユダヤ人街として賑わっていた。製造業を営むヘルマン・メルツは、カトリック教徒のグレートルと結婚し、洗礼を受けたユダヤ人として出世した。トム・ストッパードの壮大なドラマの中心となるのは、メルツ家のアパートに集まったヘルマンの親戚たちだ。彼らの人生は、国を取り巻く戦争、革命、貧困、ナチスドイツへの併合、そしてオーストリアユダヤ人にとっては6万5千人が殺害されたホロコーストなどの混乱に翻弄される。▼

 オーストリア・ウィーンのユダヤ人街(レオポルトシュタット)を舞台とし、ユダヤ人3世代にわたる家系(中心のメルツ家とその姻戚関係にあるヤコボヴィッツ家)の人びとの、歴史に翻弄され、(最終的には)多くがホロコーストで消されてしまう悲惨な群像劇を、作者トム・ストッパードの自伝的要素を核としながら描いている。演劇批評家中村哲夫氏がTwitterで『この作品でもまた、かのホロコーストの問題が扱われていた。現代の欧米演劇にも、歌舞伎のいわゆる「世界定め」があるのだろうか』と述べている。「世界」が「縦筋」、「趣向」が「横筋」だとすれば、この作品の「世界」は(良くも悪くもお馴染みの)ユダヤ人虐殺のホロコースト、「趣向」は中心人物ユダヤ人の製造業で成功した実業家ヘルマンが、非ユダヤ人でカトリック教徒のグレートルと結婚していて、ヘルマン自身もカトリックに改宗していること、か。そのような(いわば歌舞伎顔見世を前にした)「世界定め」で、舞台が成立している。ユダヤ人の悲劇を深く掘り下げることで、どれだけ普遍的な人間の悲劇ー悲しみを現出できるか、そこに成否がかかってる。
 物理的・生理的条件でいえば、わが席は15列目33(通路側端の席)であるが、これは舞台が前10列目まで張り出して設営されており、じつは5列目の席。舞台の前方で役者が演技しているときは聴こえるが、群像劇で後方で会話が進行しているときは聴こえない。そういう条件での観劇であった。あとで(新国立劇場売店で購入した)『悲劇喜劇』(早川書房)11月号所収の原作戯曲を(補填するように)読んだ次第。

 第2幕第3場(1900年)
 ヘルマンとエルンスト(ヤコボヴィッチ家)とが会話をしている。ヘルマンは、前日の夜、ヴィリ・フォン・バーア男爵の誕生祝いの晩餐会に出席、飲んだりポーカーをしたりカードゲームをしたり、それからビリヤード、誰かが娼館に行こうと提案したが、ヘルマンは断った。するとヘルマンのポーカーの相手をした男(フリッツ:若い将校)が「下品な冗談」話を続けたことを、ヘルマンはエルンストに(怒りを抑えて)語った。
ヘルマン:……かたや良家の娘には手出しできないし、そうやつは言った。かたや労働者階級のかわいい娘だと、まず間違いなく厄介なものをうつされる、となると男に残された選択肢は少ない。たとえ、これは自分もそうだが、ユダヤ女はユダヤじゃないと思っている男でもな、と。そこで笑いと喝采さ。いや、そうでもない、とやつは言った。いちばんいいのはブルジョワ階級の人妻だ、役目を終えきれいで若い女たち、子供を一人か二人か産んで、いまや退屈しきっている、奥さま同士のお茶会以外することがないーでも最高なのは、やつは続けた、金持ちユダヤに嫁いだ女だ、夫は工場主なんかがいい、なぜってフリッツに言わせればーやつはフリッツって名前なんだ、竜騎隊の中尉だーフリッツに言わせれば、そういう人妻はユダヤでない男とのセックスに貪欲なんだ、解剖学的な理由とか。……
 ヘルマンは(妻を侮辱されたことを理由に)フリッツに(拳銃使用の)決闘を申し込むので、医者であるエルンストに見届け人になってほしいと懇願した。この後ヘルマンはフリッツの館に行くが、「将校がユダヤ人と決闘してはならないとの連隊の決まりがある」と言ってフリッツは決闘を断り、今後あのような発言はしないと誓約書を書く。ヘルマンは妻の立場の女一般を侮辱されたと勘違いしていて、( フリッツとのやり取りのなかで)じつは妻グレートルその人のことを語っていたことにひょんなことから気づかされ深く傷つくのだった。グレートルはすでにフリッツと関係を結んでいた。ヤコボヴィッツ家の娘ハンナがひそかに思慕していた男がフリッツで、グレートルは思いを遂げさせようと付き添いでフリッツのアパートを訪れていたのであった。その折に強引にグレートルは抱かれてしまったのだ。
 第2幕第2場で、(フリッツのアパートの部屋で)グレートルはフリッツとの情交の後フリッツの軍服の上着を着ている、とト書きにあるから、裸のままだったのではないか。舞台では、下着の上に上着を羽織っていたが。グレートルは、夫ヘルマンだけではなく、その恋を応援していたはずの若いハンナをも裏切り「あの娘と寝てあげて」とフリッツに頼みながら、自分は間違いなく地獄に堕ちると覚悟し、フリッツに二人だけで会うのはもう最後にしようと話しかけていた。
(グレートルは)いよいよ服を着始める。
グレートル:それならコンサートで、劇場でも。
フリッツ:ヘルマンとはそうやって出会ったんだ?
グレートル:いいえローテンベルク公爵の狩猟パーティーよ。
フリッツ:本当に? ヘルマンってそんなに金持ちなのか?
グレートル:服を着て、フリッツ、辻馬車拾ってきてちょうだい。
フリッツ:やつが洗礼を受けていなければ、ロスチャイルドの人間でもないかぎり招かれてなかったよ。
グレートル:頼むから……
フリッツ:まだ帰っちゃだめだ、あと1時間は暗くならない。
 彼女にキスをする。グレートルは決心がつかず、ため息をつく。
 別れを告げる時間はある。
 グレートルは彼を押しやる。決心する。自分の服を脱ぎ捨てる。   

 柱となる物語はユダヤ人一族の悲劇の歴史であるが、舞台の印象としては、男の間抜けさと哀しみ、女の弱さとしたたかさ、その対比であった。