アイデンティティーをめぐって:ロバート・アイク作、栗山民也演出『the DOCTOR』観劇

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  11/19(金)東京渋谷の新装PARCO劇場で、ロバート・アイク作、栗山民也演出『the DOCTOR』を観てきた。渋谷に出るのもひさしぶりで、昔通いなれた公演通りまでたどり着くのにやや難渋してしまった。

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   発売日をだいぶ過ぎてからチケットを購入したので、横の通路を挟んだM列の座席、せりふがよく聴き取れず、情の交換ではなく、論理性に裏打ちされた対話がすべてである演劇なので、これは困った。戯曲が掲載されている『悲劇喜劇』(早川書房)11月号を幕間に売店で求め、後でじっくりと読んだ次第。上演プログラム寄稿のブレイディみかこアイデンティティと他者の靴」、森臨太郎(小児科)医師「啓かれた個人」なども参考にして、芝居のテーマ、アイデンティティーをめぐって考えることとなった。
なお「identity」は、おそらく一般的に「アイデンティティ」とも「アイデンティティー」とも表記されている。

 

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 物語そのものはシンプルで、妊娠中絶をみずから試みた少女が敗血症に陥り、その治療を行ったエリザベス研究所の所長ルース・ウルフ(大竹しのぶ)は、その少女の両親の依頼で、患者が死を予感しての最後の典礼を授けに訪れたカトリック神父ライス(益岡徹)の治療室への入室を拒否してしまう。神父が来れば、少女は最期と思いメンタル面で治療に悪い影響を与えるのみと判断したのであった。少女は逝く前の赦しを与えられないまま旅立ってしまった。さて、ルースは優秀な医師であり研究所の所長であるが、一方で一応はユダヤ人でユダヤ教徒として認識される。そこから世間は、患者家族がカトリック教徒であったための拒絶であり、また黒人の神父であったための人種差別もあったのではないかとの判断を抱いた。マスメディアとネットのSNSを通じてルース断罪の声が高まり署名活動も活発となった。ルースの住む部屋の外に猫の死骸が置かれる脅迫も起こった。
 研究所内部での潜在するポストをめぐる権力争いも背景に、ついにはルースは所長職をみずから降りるが、テレビ局の「テイク・ザ・ディベート」での厳しい糾弾などを経て、医療行政側の査問会で10年間の医師資格剥奪を言い渡されるまでの展開。挿話として、ルースにはかつてアルツハイマー病を患い自殺したパートナー、チャーリー(床嶋佳子)が存在したこと、そのひとを救えなかったこと、そして娘と思しき、辛い問題を抱えたサミ(天野はな)もプライベートな場面で登場する。つまりルースはひとりの家庭人(女・女関係なのか女・男関係なのかは不明瞭に設定)としても、深刻な苦悩の思い出を心の底に秘めて生きているのである。ルースの「私は医師ですから」のせりふに始まり「私は医師ですから」のせりふに終わるこの演劇が、アイデンティティーをめぐる問いと葛藤であることがわかる。
 ブレイディみかこさんの整理を援用すれば、もともとはアイデンティティーの言葉は、当初「自己の存在証明」と難しく訳され、やがて「自分さがし」とか「自己実現」などを語るときに使われるようになったのだが、欧米での「アイデンティティー・ポリティクス」の主張とともに、どんな人種・民族・宗教・性的指向ジェンダーなどに帰属しているのかを表す言葉になってしまった。個としての自分がどんな人間なのかを飛び越えて、帰属性こそが重要となり、(そのことは)マイノリティの権利と地位向上には貢献したが、「政治イデオロギーや職業的倫理、階級などで分断され対立を深めていく」方向にも進んでしまった現実がある。この演劇では、ユダヤ人医師ルースの黒人のカトリック神父による最後の典礼に対する拒否という行動をきっかけに、その分断・対立が、メディアの増幅装置によって激化してしまったわけである。
 日英両国で小児医師資格を保有する森臨太郎医師は、日本の事情と異なる医療現場における環境・文脈の相違点として、1)人工妊娠中絶についてのキリスト教各派の見解の相違があること、2)「できるだけその患者本人の意思を尊重する傾向が強く」あること、3)性別や人種による差別が長く存在していた背景から、「多様性への配慮を欠く」言葉遣いに対する社会的制裁が、日本とは比べられないほど強いこと、を指摘している。なるほど観劇の前提となる知識として観客は共有しておくべきだろう。
 さて観劇は面白かったかといえば、(こちらの難聴が主たる原因で)それほどではなかった。ただ NHK朝ドラでヒロインを演じ、映画安藤尋監督『花芯』で惜しみなくヌードを晒した村川絵梨が、研究所の広報担当レベッカ・ロバーツをテキパキと演じていて愉しかった。