『福音と社会』(カトリック社会問題研究所発行)連載の、佐々木宏人氏の『封印された殉教』の第5章(Vol.28掲載)と第7章(Vol.286掲載)を読んだのみであるが、戸田帯刀神父射殺事件の背景と経過、その後の扱われ方などについてだいたいのところは把握できた。
1945年8月16日横浜の山手教会を接収していた海軍横浜港湾岸警備隊に返還を求め本部に乗り込んだ戸田帯刀横浜教区長は、敗戦ショックのなかで殺気立った憲兵たちによって「今にも殺されるかと思った」と、帰路出会ったひとりのシスターに語っていたとのこと。その2日後憲兵によって射殺されている。この返還の要求は性急すぎたのではないかとして、その後すぐ海軍は山手教会を返還していることから、戸田師の死は「犬死」で、戸田師は「軽率な人」であったとの見方がカトリック教会の高位聖職者の間に定着してしまったらしい。犯人の憲兵隊員は誰なのか、十分な捜査も行なわれず闇に葬られたまま今日に至っているわけである(第7章)。
戸田師が山手教会の返還を海軍に求めたことが、憲兵による射殺を招いたという通説に関して、保坂正康氏は、「海軍と(憲兵の属している)陸軍の関係からいって極めて不自然」であるとの感想を述べている(第5章)。
筆者(佐々木):「戸田師の周辺には憲兵のスパイのような存在がいて戸田師の行動、情報はキャッチされて、その分析で『生かしておいてはまずい』——ということになった可能性もありますか」
保坂氏:「それは十分あるでしょう。(1945年4月15日の憲兵隊による)吉田茂逮捕事件でもわかるように、吉田邸にいた女中2人、書生1人の3人全員憲兵隊のスパイでした。吉田の行動、手紙、電話の全容をつかんでいました。恐らく他の和平派とみなされる要人には間違いなく同じような体制がとられていたと思います。戸田師の周辺には、本人は全く気付いていないでしょうがスパイ網が張り巡らされていたはずです。その行動、言動は筒抜けになっていたのではないでしょうか。
ただ民間人、それも聖職者を殺したという事件は、聞いたことがありません。よほどの事件の証人を消すために、いわば憲兵隊の〝本気〟を感じます。戸田師の周辺にスパイがいたかどうか、調べる必要があるのでしょうが……。」(Vol.283 pp.56~57 )
アメリカ国立公文書館収蔵の「Vessel(帆船)」と呼ばれる偽情報を紹介し、イタリアの夕刊紙「コリエーレ・デラ・セラ」は、天皇の意を受けて、横浜のコマドリ(=戸田帯刀横浜教区長)と東京のウグイス(=土井辰雄東京大司教)がバチカンに働きかけて戦争終結を画策しているとの記事を載せたことがあるそうだ(2001年8/19)。バチカンのピオ12世が小鳥好きだったことから生まれた暗号用のコードネーム、「コマドリ」「ウグイス」を使っている。戸田帯刀師を天皇の遠縁などと明らかな間違いもあり(昭和天皇に侍従として仕えた戸田康英がいた)、「(スパイとしての)アリバイ作りのために作られた情報と言うのが、一読した感想」(保坂正康氏)とのこと。一平民の出である戸田師が天皇の意を直接受けるというのもあり得ないこと。しかし平和を求める何らかの活動をしていたのだろうか。そのことが憲兵による惨殺を招いたのか。
http://kimiyom.hatenablog.com/entry/20150815/1439607829(「母校開成の先輩・戸田帯刀神父」)
http://simmel20.hatenablog.com/entry/20140120/1390185895(『テレビ朝日ドラマ「黒い福音」視聴:2014年1/20 』)