(金子國義・富士見ロマン文庫コレクション)
E.T.A.ホフマンがじつは作者ではないかと、疑われたこともあったというポルノ小説『悪女モニカ』と同時代に書かれ、その原稿が『悪女モニカ』と同様、甥の手に渡ってから出版されたと伝わる、オペラ歌手ヴィルヘルミネ・シュレーダー=デフリントの『ある歌姫の思い出』の話が、ホフマン研究家の本間鋭太の口から出てのち、神保町の古本屋で古閑沙帆と友人の倉石麻里奈がその翻訳本を偶然発見。週1度のヨハネスの報告書を解読してもらう機会で沙帆がそのことを告げると、本間は驚かず、富士見ロマン文庫の『ある歌姫の思い出』だろう、翻訳者の須賀慣はスガナレルと読み、モリエールの戯曲の主人公の名前をもじったもの、と説明。鈴木豊という仏文学者が本名だと種明かしをするが、インターネットを使いこなしているはずの沙帆と麻里奈の二人ともまったく調べていないというのはおかしなところ。
それはそれとして、この富士見ロマン文庫の装画を担当している画家について、本間がまた得意そうに講釈する。
「そもそも富士見ロマン文庫は、ただの際物のシリーズではないぞ。なんといっても、カバーの絵を描いているのは、かのカネコ・クニヨシだからな」
沙帆は、カバーの絵の下の横文字を、あらためて見直した。
なるほど、〈cover painting by Kuniyoshi Kaneko〉とある。
「有名な画家さんなのですか」
本間が、不機嫌そうに人差し指を立てて、左右に振る。
「カバーの袖を見てみたまえ」
あわててカバーをめくると、そこに〈カバー 金子國義〉とあった。
どちらにしても、聞いたことのない名前だ。
「すみません。絵の世界には、とんとうといものですから」
本間は眉根を寄せたまま、麻里奈に目を向ける。
「きみも初耳かね」
麻里奈は、背筋を伸ばした。
「ええと、名前だけは知っています。このカバーの絵でも分かりますけど、いわゆるデカダンふうの、独特の絵を描く人ですよね」
本間は、まだ不満そうだった。……(p.534)
この富士見ロマン文庫の金子國義による装画全作品が、カード絵として発売されている(金子國義・富士見ロマン文庫コレクション)。ヴィルヘルミネの『ある歌姫の思い出』もむろんある。