矢内原美邦演出・振付ヴェルディ作曲『ラ・トラヴィアータ』(椿姫)鑑賞

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 2/22(土)は、東京芸術劇場コンサートホールにて、矢内原美邦演出・振付ヴェルディ作曲『ラ・トラヴィアータ』(椿姫)を鑑賞した。ヴィオレッタ役(ソプラノ)を歌うのが、予定の人の代役となった、エカテリーナ・バカノヴァ。この人の歌唱に尽きている。ヴィオレッタの戸惑いも歓喜も疑いも不安も絶望も、そして祈りと諦念もこの歌姫の声が聴く者の胸に深く刻印してくれた。アルフレート役(テノール)の宮里直樹も、その父ジェルモン役(バス・バリトン)の三浦克次も聴かせる声。
 ヘンリク・シェーファー指揮で、読売日本交響楽団の演奏。個人的に音楽は、批評の外のこと。ただ昔読売日響の定期会員だったので、懐かしく聴いた。
 さすがに矢内原美邦演出・振付の舞台なので、一筋縄では捉えられない。パリ社交界のパーティーでは、参加者たちがみなスマホを持っていて、何かあるとすぐパシャッと写す。仮面舞踏会の陶酔と興奮も〈インスタ映え〉を意識してのみ成り立つ、〈現代〉への批評はあるだろう。〈現代〉とも重なり、ヴィオレッタがそこから抜け出そうとした仮面舞踏会なるものの気だるさを炙り出してもいるだろう。しかし舞台装置や小道具に現代を持ち込む演出は、演劇でもオペラでも新奇なことではない。手紙の扱いの場面では、メールの送受信ということになる。このあたりも特にどうということではない。
 面目躍如の演出は、黒子のような衣装のダンサーらによるコンテンポラリーダンスが随所に挿入されていることであり、その振付がとうぜん矢内原美邦なのである。ピナ・バウシュ風の反復のダンスパフォーマンスが、ギリシア悲劇のコロスのようにではなく、ブレヒト的「異化」効果を狙った風でもなく、はさまれる。しかしこれはあってもなくても、舞台の声の力とは関わらない。この作品のタイトルロールをヨーロッパの各一流オペラハウスで歌ってきたという、エカテリーナ・バカノヴァの声の圧倒的な魅力に感動したのであった。

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