殯(もがり)について


 中国哲学碩学加地伸行大阪大学名誉教授の『マスコミ偽善者列伝』(飛鳥新社)は、痛快な書で、反権力のポーズで社会的立場を得ているエセ知識人ほかを、古典が教える知恵を基底に痛罵している。「知識の有無が始まりであって同時に終わり。知識量を競うことが第一。これが、〈今でしょ先生〉やら、〈池上彰のなんとやら〉といった物識りテレビ番組作りとなっている。/ そうではない。教育上、知識は大切であるが、それを山積みするのが目的ではなくて、それを活かすことが目的なのである」。

 例えば、メディアの伝えるところでは、山口二郎・法政大学教授は、安倍首相を「たたき斬ってやる」と集会で公言したという。
 ならば、たたき斬ってもらおうではないか。行動左翼として率先テロをなすべきだ。
 できるのか。できはせん。顔を見たら分る。山口某の雰囲気は昆虫系であり、とてもドスを握っての面構えではない。彼の前で、棒ででも床をドンと突けば飛び上がり、真っ青になって逃げてゆくことであろう。バッタのごとく。その種(て)の安物インテリ、例えば愚劣な大学教員は、老生、昭和31年大学入学以来、いやと言うほど見てきた。(pp.174〜175 )

 
 野田政権下での消費税増税に関して「凡庸な三流政治の案にすぎず」との古代中国の政治を例にとっての批判など、むろん議論のすべてについて賛成するわけではないが、共感を覚える場合がほとんどである。
 さて最も蒙を啓かされたのが、葬送をめぐる比較文化論で、殯(もがり)についての解説のところである。

 一方、中国の黄河流域は北方で低温なので、インドと異なり、死後の腐敗が遅い。死者はさながら眠るがごときなので別れ難い。しかし、死は死なので別離の儀式を作った。それが喪儀であり、そうした文化を担ったのが儒教である。
 儒教はこう考えた。呼吸停止を死とせず、死に至る最初とする。そこで呼吸停止者を共同墓地に風葬(野晒し)し、白骨化したときをもって死とし、白骨を回収して土に葬る。その場所が、墓。現代では野晒しでなく仮土葬し、一定期間(厳密には二年プラス一日後)後に正式に土葬し墓を建てる。このときに凶である死が完成し、死者は祖先になり、吉となる。この〈呼吸停止から白骨化(死)までの期間〉が殯なのである。その期間すなわち白骨化するまでが約二年であることを経験的に知っていた。そこで三年の葬(二年プラス一日後の墓葬)の儀式を行い、それを重んじた。中国仏教・日本仏教はこれを取り入れて三回忌としたのである。すなわち、インド仏教には、風葬も墓も殯も三回忌もないのである。( p.230 )

 さてわが連れ合いは、10月21日(日)午後3時18分永眠した。享年69歳。左胸乳がんの肝臓多発転移に因る。病に倒れる前は、このブログのあまり熱心ではない読者であった。明日が野辺の送りである。家族葬のかたちで送ることになる。葬儀で祭壇に飾られる遺影は、8年前の今月17日、いまは閉鎖された佐久間牧場のコスモス園で撮ったものである。

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20101017/1287285269(「佐久間牧場のソフトクリーム:2010年10/17」)